東京国立近代美術館で開催されている、「あやしい絵展」に行ってきました。
事前に日時指定予約無しで入場できる予約優先チケットを購入しており、開催期間中最初の日曜日、朝10時に突撃。1時間弱並びました。日時指定券を持っていれば日曜の朝でもほぼ指定時間通りに入場できている様子だったので、土日に行く予定の方は指定券がおすすめです。
「思てたんと違う」というのが最初の印象でした。このポスターを見てすぐチケットを衝動買い。事前情報をろくに入れていなかったのです。
私は去年の秋に太田記念美術館の「血と妖艶」という企画展を見に行っていて、今回の「あやしい」という単語から血まみれで残酷な作品たちを連想していたのでした。
月岡芳年 血と妖艶 | 太田記念美術館 Ota Memorial Museum of Art
「血と妖艶」は本当に血みどろの世界観でしたが、「あやしい絵展」は違います。いや、月岡芳年の無残絵も展示されている様に、全く違いはしないのだけれど、一部に過ぎないのです。
「あやしい絵展」において月岡芳年の作品は、まずプロローグにあたる第1章(幕末〜明治)に『魁題百撰相』が登場します。当時、時事ネタを直接描くことは御法度だったため、戊辰戦争の兵士は妖の顔を借りて描かれました。
そして個人的にすごく好きだったのが、第2章-3の展示。「清姫」「高野聖」等、モチーフごとに複数の人の作品が並ぶのが面白かったです。芳年の作品としては『和漢百物語 清姫』が展示されています。
あやしい絵展(@ayashiie_2021)開催中
— 【公式】東京国立近代美術館 広報 (@MOMAT60th) 2021年3月29日
明治中期以降、小説を題材に取った作品の中にも妖艶であったり退廃的な人物が描かれました。好いた人を追いかけて最期には蛇になり焼き殺す安珍清姫伝説。「愛しくて、恋しくて、裏切られて、悲しくて、憎くて」と感情に揺れる清姫の描き方は画家それぞれです。 pic.twitter.com/YlhPW9VPWc
このように、血みどろだったり、愛憎渦巻いていたり……あやしい(妖しい・怪しい)といった言葉から直接的に連想されるような作品も確かにあります。一方で、アルフォンス・ミュシャのポスター等、一見しただけではあやしさを感じにくい作品も数多く展示されています。これが私の「思ったのと違う」という印象に繋がりました。このポスター、後ろの女性の妙な表情が可愛い。
(アルフォンス・ミュシャ,ラ・トスカ ポスター,三浦コレクション 川崎市市民ミュージアム「あやしい絵展」)
それから、個人的にツボだったのは同人誌や小説の挿絵です。
(田中恭吉,死人とあとに残れるもの,和歌山県立近代美術館「あやしい絵展」)
(谷崎潤一郎『人魚の嘆き』挿絵 水島爾保布「商人と人魚」,弥生美術館「あやしい絵展」)
ここ半年ほどは浮世絵にハマっていましたが、新しく掘り下げたいものが見つかりました。
さて、今回の展示のうち、特に人が立ち止まって見ている時間が長く、密になりやすい作品がいくつかありました。その内の一つが橘小夢の「刺青」。正面から写真を撮る隙がなかったので写真は少し曲がっていますが、寝ている間に女郎蜘蛛の刺青を彫られ、性格が変わった少女の姿が描かれています。
(橘小夢,刺青,個人蔵「あやしい絵展」)
腕の確かさで評判の高い刺青師・清吉は(略)一人の美しい少女に出会う。見た目が美しいだけではない、男性を破滅に導く魔性を少女の中に見出した彼は、何としても彼女に刺青をほどこしたくなった。そこで彼女を薬で眠らせ、玉のような美しい肌に女郎蜘蛛を刺り込んだ。刺られる前は純真を装っていた少女だが、眠りから覚めるとともに彼女の魔性もまた花開いたのだった。(「あやしい絵展」会場作品紹介)
示唆に富む、と言うと途端に薄っぺらくなってしまう気がするのだけど、他に言葉が見つかりません。社会学におけるキャラ化とか心理学におけるピグマリオン効果とかを何となく連想しました。自分や他者が自分に着せたキャラクターに、望むと望まざるとに関わらず中身が寄っていく感じ。作品では「本性が花開いた」ことになっていますが、内→外、外→内、両方の作用と両方あるのかなと。
続く2章-4には「表面的な美への抵抗」というタイトルが付いていました。明治期には「大衆的な美人のイメージが形成され」、「似たような女性が盛んに描かれるようになった」ことが、賛否両論の的となったそう。どこかで聞いたことがある話ですよね。
それもそのはず、「あやしい絵展」公式サイトの開催概要には、このようなコメントが。
「単なる美しさとは異なる表現」を深く掘り下げると、そこには共通して人々の奥底に潜む欲望が複雑に絡んでおり、今日を生きる私達にも響くところがあることに気づかされます。本展が日本の近代のみならず、現在の私達を取り巻くさまざまな表現、事象、価値観についても考える機会となれば幸いです。
近年加速する「ボディポジティブ」「ネオかわいい」等、画一的な美の基準から外れた多様な美しさを認め合おうとする動き。
(「ネオかわいい」参考:CHAI - N.E.O. - Official Music Video (subtitled) - YouTube)
日本の美術界では、近現代的・大衆的な美人のイメージが確立されるのと並行して「着飾った女性の表面的な美しさではなく、彼女らの感情や意志の表現を追究」する流れが起っていました。身体的な美の多様性を訴えるのと全く同じではありませんが、画一的な美に対して疑念を呈する点が共通しているように思います。
例えば、島成園の「無題」。顔に痣を抱え「運命と世を呪」う女性の、「世の中を見返してやろうという強い決心」が描かれています。
こちらは島成園の描いた《無題》。
— あやしい絵展【公式】 (@ayashiie_2021) 2021年4月1日
作品制作にあたり、成園は自分の顔を参考としましたが、実際の顔にはあざはありませんでした。「痣のある女の運命を呪ひ世を呪ふ心持を描いた」と言います。外見のために傷つきながらも、自身の運命と世の中を見返してやろうという、女性の強い決心がうかがえます。 pic.twitter.com/JQcFBjMEMX
こうした、キレイの一言では言い表せない、見ていて心地良い美しさとは違う魅力をもつ作品を集めたのが「あやしい絵展」だったのです。
「あやしい絵展」、私は事前に情報を確認していなかったので思ったのと違うという印象は受けましたが、結果的にとても面白かったです。
そして「あやしい絵展」のチケットを買うと「東北を思う・春まつり・あやしい」の3つがキーワードになっている所蔵作品展も見られます(当日限り)。近代美術館の所蔵作品展はがっつり企画展に対応しているところが大好き。2年前にも春まつりを見に行きましたが、今年もすごく良かったです。合わせてぜひ。
春休みに国立近代美術館で見た、竹内栖鳳の『飼われたる猿と兎』が忘れられない。「利口な猿は飢え、従順な兎は食に飽きる」「飼われることに満足できない猿と、すべてを受け入れて満腹するウサギのどちらが幸福か」。どちらが幸福なんだろう。私はどちらでありたいんだろう。https://t.co/Xmyg1THAIw pic.twitter.com/Do91gcrTJC
— さやか (@oyasumitte) 2019年4月14日
ちなみに「あやしい絵展」は前後期の展示替え以外にも期間限定公開等があるので(下記ポスターの上村松園「焰」は4/4まで)、見たい作品がある方は企画展公式ページの作品リストをご確認ください。
「あやしい絵展」
東京:2021/3/23-5/16 東京国立近代美術館
大阪:2021/7/3-8/15 大阪歴史博物館
「春まつり」
東京:2021/3/23-5/16 東京国立近代美術館