こんばんは。さやかです。
昨日匿名のメッセージを受け取るサービス「マシュマロ」を再開したところ、こんな質問(?)をいただきました。
男性グループで居酒屋に行った際、質問者さんが何の気無しにサラダを取り分けたらそれを「女子力」と茶化されたこと、そして「取り分けてくれる女の子が良い」と言った友人の感覚に対して違和感をおぼえた……という理解ですが、大丈夫ですか?
お返事はいただけないので大丈夫だとして、
①取り分ける女が好き、はおかしいか?
②取り分け問題に限らず立ち振る舞いに男女の区別は必要ないか?
という2つのテーマがあるように感じました。
順番にお答えしたく存じますが、大まかに言って私は、男女で適切な立ち振る舞いを区別する必要はないと思います。これだけならマシュマロの回答ツイート(制限文字数100)でもよかったのですが、サラダ取り分け問題からもう少し話を広げてみると、必要ないと言い切るのは乱暴な気がして来ました。というわけでいろいろと回り道をしながら考えてみたいと思います。
私は「女が取り分けるべき」と「俺は取り分けてくれる女の子がいい」とは全然違うものだと思っていて。前者は男女区別というか思想的だけれど、後者は単なる個人の好みなんですよね。ちょっとしたことにでもよく気が回るタイプが人間的に好き、という意味の場合もあるでしょうし。まあ男だけの飲み会で「俺は女の子に取り分けてもらいたいタイプだからやらない」という姿勢をとるのはちょっとまた違うのかなとは思いますが……。
個人的には、 料理の取り分けに関しては質問者さんと同じ意見です。男女の区別は要らないと思います。近くにいる人とか早く食べたいと思った人がすればいいと思って特に意識もしていないので、実際どれくらい自分が取り分け役をやっていたのかを思い出すことができません。
ただ、先に書いたとおり「俺は○○してくれる女の子がいい」という男性の感覚については特に違和感が無いのです。それは私自身が何らかの行為に対して「男が〜すべき」とは思っていないのと同時に、男性にされたら嬉しいと思っていることがあるからです。
あまり抽象的な話をすると「場合による」としか言えなくなるので、話題をサラダの取り分けから少し広げて、逆に文脈は少し区切ってみたいと思います。会社の飲み会なら男女問わず目下の人間が気を配って動けばいいし、会社の同期や気の置けない友人たちとの食事の席なら行動を男女で区別する必要はないでしょう。
でもシチュエーションを異性同士として会う場に限定して考えたら、やっぱり性別によって有利になりやすい立ち振る舞いというのはあると思うのです。
私はわかりやすい「女扱い」をどうしても嬉しく感じます。たとえばお店のドアを自分が開けても、自分が手前側の席に座っても、外で車道側を歩いても別に死なないけれど、自然にドアを開けてくれたり奥の席に座らせてくれたり車道側を歩いてもらえたりするとキュンとする。それを男性がすべきだとか、自分が女だからそれをされて当たり前だとかいうのではなくて、私はそれをしてくれる男性を好ましく感じるなというだけの話です。「俺は取り分けてくれる女の子がいい」も同じですよね。
文脈によって有利な振る舞いはあると書きましたが、勿論万人に対して有利にはたらく振る舞いなんてものがあるわけは無く。私は先述した様にわかりやすく男らしい振る舞いが好きだけれど、レディーファーストなんて軟派でまったく惹かれないという女性はいるし、サラダを取り分けられるのが好きな男性がいるのと同時に、好きな女にはドアの開閉も料理の取り分けも何にもさせたくないタイプの男性もいます。
そして質問者さんのように、男女という性別で適切な立ち振る舞いを区別するのはナンセンスだと感じる人もいるわけですよね。
だから結局どんな立ち振る舞いが有利なのかは状況と自分の好みによるし、実際どう振る舞うのかは相手に合わせたいのか自分の考え方に合う人が寄ってきてくれればいいのかによっても違う。全部「場合による」に落ち着いてしまいます。
私は私を女という型にはめて接してくれる男の人を好きになることが多いし、最初はそうだった彼氏も付き合ったら私に自分のPC入り通勤鞄を持たせて車道側を歩かせるようになったし、それでも私は彼氏が好きだし、なんかもう、そういうものじゃないですか?男女の話なんて全部。
男女で立ち振る舞いを区別する必要は確かに質問者さんの考えるとおり無いと思うのですが、それだけを言い切ってしまうのはちょっとわたしの中で違和感があったので、こんな風に長々と書いてきてしまいました。
ちなみにお察しのとおり、私も質問者さんと同じ「こういう話のときは考え込んでしまって」相手の質問からは遠ざかっていってしまうタイプです。今回も話がとっ散らかってしまいましたが同じタイプのよしみで許してくださいね。
おやすみなさい。さやかでした。