どんな言葉で君を愛せば|@oyasumitte

ハッピー賢者モードと人生イヤイヤ期を行ったり来たり

どうしてそんな言い方をするのですか?

突然だが、私は女である。「男なんかに絶対に負けたくない!」という女尊男卑気味の強火男女平等論者ではなく、かといってこってり男尊女卑側の人間というわけでもない。

 

たとえば私は誰かと結婚することを考えたとき、共働きは前提とした上で、稼ぎ手として自分はサブのポジションをとりたいと思っている。相手と同じくらい働いて同じように稼ぎ、当然同じように家事・育児など家の中のことも分担するよりも、明確に役割を分けた方がうまくいくのではないかと思うからだ。家事や育児など所謂「女の仕事」とされていた領域においては私が主軸を担いたいが、それは育児が女の仕事だからではなく、あくまでもそうするのが私にとって自然なことに思えるからだ。……とはいえ私は女であると同時に社会人でもあるので、自分の仕事はずっと続けていきたい。

つまり、私は自分が女であることに甘んじて「結婚しても働き続けたいけど家庭における働き手としてはサブでいい(つまり相手には自分より稼いでいてほしい)」と言っている。最近っぽい男女平等の考え方と、女は男の三歩後ろを歩くべしという古めかしい価値観に片足ずつ突っ込んでいると思う。その2つのあいだで必死に反復横跳びをし続けていると言ってもいいかもしれない。

 

さて、そんな私だが常に「男に負けたくない」と闘争心を燃やしている女性は好きだ。逆に「女の幸せは男に養われること」だと専業主婦を志望する女性のことも好きだ。自分の望みがあって、それに対して一人だったり、時には志を同じくする仲間と一緒にだったり、ひたむきになっている人が好きだ。自分と誰かの目指すところが違うことは、その人たちの言葉を理解できないこととは全く違う。

一方で私が理解に苦しむのは、自分の願望のために周りに求めることが目に余るほど多い人とか、本来目指すゴールに関係ないところで味方を減らすような言動をとってしまうアピール下手な人の存在だ。

 

随分抽象的な書き方になってしまった。私が苦手だと感じるのは、たとえばこんな表現だ。

このツイートから私は「女の体温データの方がセンシティブ(だから男のそれより慎重に扱われるべき)」という主張、そしてその主張の理由がわからない人への嘲りも同時に感じてしまった。

もう齢23の女なので、元ツイートの「センシティブ」の言わんとすることは理解しているつもりだ。女の基礎体温は雄弁で、毎日測って記録していけば妊娠しやすい日などがはっきりとわかる。見る人が見れば生理周期もバレバレなのである。

そういう事情があって「女の体温データは男のそれよりも特別だれかの興味をひく可能性がある」のはおそらく事実だ。事実だし、それを警戒する女性の気持ちも、警戒する女性に配慮して「特別慎重に扱おう」とする人の感覚も真っ当だと思う。

 

ただ、もし女性の「職場の人に体温データをむやみに知られたくない」という不安を解消すること、あるいはその不安を理解する者として管理を徹底すべき旨を誰かに伝えることが目的ならば、データを管理するべき人に対しては「体温も個人情報だから取扱には十分な注意を払う必要があります」と性別には触れずに釘を刺すだけで解決しませんか、と思ってしまうのだ。

 

何が言いたいかというと、女の身体について多少の知識がある人が、そうでない人に向かって「(あなたにはわからないでしょうから言ってあげますが、)女の体温データはセンシティブ度が高いので慎重に扱ってくださいね」と言う感じが苦手だ。言った台詞だけならまだ普通だけれど、そのあとの「なぜか(こんな常識的なことも)わからない人がいて、そっちの方が驚くわ」を見るともう台詞の前に()内が透けて見えてしまう。わたしの邪推なので違ったらごめんなさい。

もしくは、やはり女性の体温について強調してその厳重管理を促したいのであれば「ご存知かとは思いますが、」と断って理由を説明する方が親切だと思う。相手が理解しないことを確認してから、こんなことも知らないのかと相手を見下したり説明し直したりするよりもスムーズに解決できるような気がする。

 

ここまで書いてきて元ツイートの主の性別も思想も特に確認していないことがおそろしくなってきた。あくまでも、ツイートだけを切り取って見たときにあの言い方は個人的に好きじゃないんだよなという、それだけです、宜しくお願いいたします。

 

他にも、目指すところは素敵なのにそこに至るためのアプローチが残念で勿体なく感じる人に時々出会ってしまう。たとえば夫婦別姓での結婚を目指す女性たちとか。

私は見ての通り恋愛脳で、自分が結婚する相手の姓を名乗る事に昔から憧れがあり、夫婦別姓をあえて望むことはない。ただ私自身は夫婦同姓を望むというだけで、他の女性が別姓を選べるようになろうがなるまいがどちらでもよく、別姓断固反対派ではないと同時にその権利が絶対に必要だとも思っていないという立場だ。そんな私から見ても、夫婦別姓の権利獲得に励む女性たち(の一部)はなんだかとても応援しにくい。

 

少し前に『夫婦別姓について、婚約者(男)へ真正面から切り出してみた。|ice|note』という記事が話題になった。ツッコミどころが多すぎるので内容については省略するが、最終的に結婚に関することを「一番プライベートな部分」だと言う筆者の女性と、結婚を社会的な関係と見なしている男性がわかりあえないのは当然だろうなと思う。あと話し合いの場で自分のバズったツイートを見せるのも、わたし的には無しだ。 

 

「私たちのつらさをわかって!」「私の苦痛について説明するので理解する努力をしてみて」という主張はわかる。時には同情もする。でもなぜか夫婦別姓を訴える声の大きい人は「私たちに同調しない人間は後進的で知性がない」と攻撃的になりがちな気がしてしまう。自分の望みを理解してほしいなら、そしてそれを受け入れる側にあまりメリットがないなら、言葉を尽くして懇切丁寧に伝えるべきだし、受け入れられないときにも相手を責めるべきではないと私は思う。

夫婦別姓婚や事実婚に難色を示す男性に対し「知的な男性は肯定的に夫婦別姓の話をする」と言ってみせて、どうして意見を変えてもらえると思うのだろう。話し合いの最中に自分を知的ではないと断じてきた相手の意見を、それ以前よりも好意的に聞ける人がどれくらいいるだろう。そんな言葉に本気で「知的な男性でありたいから夫婦別姓婚を肯定しよう」などと思う薄っぺらい男性、私は嫌だなあ……。

 

被害者面をして正義をかたり、相手に自分の望むところを満たさせようとする姿勢は、とてもがめつい。今回はわたしが女だからか、気になるアピール下手さんの例を挙げたら女性ばかりになってしまったけれど、性別は関係がない。

個人的には、女性の体温データの扱いを男性のそれより厳重にしたっていいし、別の姓を名乗る夫婦が表れたって構わない。選択的夫婦別姓には賛成しても構わないと思っている私にさえ「でも何か応援したくならないのよなあ」と思わせるのは彼女たちのアピールがあまり成功していないことの表れなんじゃないかなと思うけれど、本当は私が「結婚は同じ名字になること」であってほしいと思っているだけなのかもしれない。彼女たちのせいにばかりしているのもよくないね。

 

はい。私は自分の考えが正しいと思うときほどそのアプローチの仕方も使う言葉も 丁寧丁寧丁寧〜に〜選ぶよ〜、というか選ぶようにしたいと思っているよという話でした。最後までお読みいただきありがとうございます。おやすみなさい。さやかでした

 

はあ〜好きな人と同じ名字になりたい