どんな言葉で君を愛せば|@oyasumitte

ハッピー賢者モードと人生イヤイヤ期を行ったり来たり

多様性を愛する人が愛しているのは本当に多様性なのか

“多様性”を愛する人が“多様性”を愛しすぎるあまりに結果として多様性を認めない人になっているのを見るのは悲しいなと思いました。いつも唐突でごめんなさい。何を見てそう思ったのかはご想像におまかせします。

 

たとえば、たとえばの話ですが、太ったモデルが自分の好きなブランドの広告塔になったとして、それを既存のモデル体型のような美と異なる美も肯定する素晴らしい試みだと絶賛する人の考えも、自分の好きなブランドの顔となる人には誰もが羨む美貌や細い体型を持っていてほしいと思う人の感覚も、どちらも尊いとするのが真に多様性を認めるということなのだと私は思っています。

でも「多様性を認めよう」系のメッセージを絶賛する人ってかなりの確率で「自分が好きなものを好きだと言わない他者」を攻撃しているイメージがあって。それは多様性を愛する人のジレンマだと思ってきたのだけれど、結局その人が愛しているのって多様性でも何でもなくて「これまでの概念にとらわれない私」「わかっちゃってる私」みたいなことになってしまっていないかな、と最近は考えています。もちろん全員ではありません。ツイッターでまわってくるのはラウダーマイノリティーの声だけなので。

 

「多様性であるとされるものを認めない在り方も認めるのが多様性」という哲学のようなことを言っていてはどうにもならないことがあるのもわかるのです。洋服や化粧品のポスターなら好き嫌いの問題で済みますが、たとえば同性同士の結婚を法的に認めるかどうかという問題。

同性婚を認めたくない人の意見も多様性だと考えてしまうと「多様性を認めて同性婚に権利を与えろ」という主張が通らなくなってしまいます。だから「同性婚は異性婚という枠におさまらない現代の多様な結婚のあり方である」、同時に「同性婚を認めない人は多様性を認められない人である」という図式をつくって自らの立場の弱さと悲壮感をアピールして権利を勝ち取ろうとせざるを得ないのかなと。

私自身は、今後のことはわからないけれど、少なくとも今までは公的な社会のシステムがざっくり「男女が結婚して子どもを産み、その子どもが生産者となって社会を回す」ことを前提としてきた以上は、制度上の結婚が異性婚に限られることは当然かなと考えてきました。

以前、どこかの国の議員が「同性婚を認めてもあなた方の生活は何も変わりません(だから無意味に反対するのをやめてくれ)」と主張した動画が共感を呼び大変バズっていましたが、何も変わらないと言いきってしまうのはどうなのだろうと思っています。

これは何もマイノリティーは偏見に晒されるか隠れて生きるべきだと言いたいわけではなくて、偏見をなくすことと制度上で認められるということはイコールではないと思っていて。制度的に認められることは偏見を無くすための手段であると言われればまあそうなのかもしれないのですけれど、今回書きたかったことからは脱線しすぎているので話を戻します。

 

太ったモデルが起用された広告や、あえて既存の美しさから遠ざかるようなメイクを施し自らを「ネオかわいい」存在であると自称するミュージシャンに対して誰がどんな感想を抱こうがそれは自由であって、どんな意見でも同じように一個人のものとして「その感想が存在すること」は認め合うのが多様性を認めるということなのであると私は思っていて。でもモデル体型でないモデルの起用とか一定層に反感を買っているような何かを絶賛する人ってどうも「それを認めて多様性を愛する私たちとわからないお前ら」という色が出やすいような気がしていて……もしかしたらSNSの発信だとどうしても煽りの要素が入ってしまいがちなだけで、ツイッター以外の世界ではそんなことはないのかもしれませんが。

 

私は「ネオかわいい」とか「雰囲気かわいい」とか「ブサかわいい」とか、そういう言い方全部をあまり好ましく思っていません。それらは新しい概念だとか何とか言う人がいるけれど、わたしには結局そういう、可愛いに何かを付随した言葉を使う時点でただの「可愛い」では認められない何かなのだという宣言を自らしてしまっているように思われて仕方ないのです。ブサかわいいは論外として、ネオかわいいとか雰囲気かわいいだとか、言われて本当に嬉しいですか?どちらも単に「かわいい」と言わないことによって(顔はブス)ってカッコ書きが透けて見えてしまっていませんか?言われて嬉しくないことを自ら主張する必要がありますか?その概念を認められない人を攻撃する意味はありますか?

このブログを読む人の中には多分、多様性を愛そうと声高に叫ぶ人も、その人たちに攻撃されるような人もいないし、私だってそのどちらでもないし、ネオかわいいとか雰囲気かわいいだとか言われたこともないし、じゃあなんでこんなにそれについて文字を書いてきたんだよという話になってしまうのですが……。

 

自分の好きなブランドの顔となる人には誰もが羨む美貌や細い体型を持っていてほしいと思う古い価値観に生きる22歳の独り言にお付き合いいただき、ありがとうございました。おやすみなさい。さやかでした。