どんな言葉で君を愛せば、

22歳新卒、OL人生のスタート

5月の暑さを「令和ちゃんのせい」にする人間が愛しくて、同時に少し怖い。

こんにちは。いいお天気の日曜日ですね。私は昨日遊び回ったので、今日は部屋の掃除とか料理の作り置きとかを済ませたあと、近所のカフェでゆるりと勉強しつつツイッターをやりつつ過ごしています。冷房がきいた店内で最近の暑さを嘆くツイッターの民を見ながら、人間って本当に誰かのせいにするのが好きなんだなあと思いました。今日はそういう話です。

ネタツイは、文化だ

アクセスログを見る限り私のブログを読んでくれている方はツイッターをされている方が多そうなので、大体おわかりいただけるかと思うのですが、今のツイッターには「新人令和ちゃん」が登場するツイートやらイラストやら漫画が溢れています。ツイッターをされていない方のために軽くご説明申し上げますと、最近はまだ暦の上では5月なのに真夏日が続いていますよね。これを「新人令和ちゃん(くん)が気候の設定に失敗しているのだ」というストーリーを作って楽しんでいる人々がいるのです。これは偏見なのですがたぶん令和ちゃんのせいにしておもしろがっている層って夏なのに寒かった日とか東京に雪が降った日に松岡修造の動向を調べて「そりゃ寒いわけだ!ヤツが日本にいないのだから!」って盛り上がった層と同じですよね。偏見ですが。

この暑さを令和ちゃんのせいにするネタツイを最初に見たとき、私も笑いました。声が出てしまうほど笑うとかじゃなくて「これは笑う」と言えるくらいの感じで、面白いなと思いました。3つくらい見て、特に好きだなと思ったのはこれ。この記事を書くために「令和ちゃん」でツイート検索をかけたとき、ロリネタは気持ち悪いけれどこれは好きというツイートも散見しました。

ここで私が言いたいのは設定パクリがどうとか擬人化ネタに飽きたとかそれがつまらないとかそういうことじゃなくて(……いや、正直言うと確かに令和って元号が幼女として描かれる事自体はちょっと気持ち悪くて私は好きではないけれど、それはそれ自体が否定されるべきだとは思っていなくて)ですね。ましてや令和ちゃんは女子なのに教育者(?)である平成さんも昭和さんもみんな男なのが気持ち悪い!女性蔑視だ!とか、皆で擬人化を楽しむ内輪ノリ自体が気持ち悪いだなんて言うつもりはありません。

むしろ私は文脈とか構文を皆で共有して内輪のそれを知る人にしかわからない面白さが存在するのって素晴らしいと思ってて。だってそれって、日本古来の和歌の文化とかも同じじゃないですか。ツイッターのネタツイのテンプレなんてまさに和歌の世界ですよね。文字数制限があって形式とか面白みの出し方みたいなものがある程度体系化されていて、しかも「野獣先輩」や「黒塗りの高級車」みたいなの、単語だけでテンプレートを想起させて笑いに繋げられるような共有概念もある。また必ずしも140字を満たす必要はなく、つまり自由型も一つの形として認められている。

そして皆が好き好きに言った結果として民族としての無意識の色があらわれてきて、そのことを民俗学的な視点から眺められる人も同じ輪の中にいるなんてあまりにも面白い。もしネタツイが文化でないなら、文化とは何ですか?

信仰は人間の弱さであり賢さ

私は人間が行った最大の発明は「神」という概念だと思っています。もちろんこれはキリストや菅原道真のことではなくて、もっと広く、人間が人間の頭の中で生み出した「超人間的・超自然的な力、またはそれを持つ存在」のこと。

私は宗教学を専門的に学んだことはないのであまりにもお門違いなことを言っていたら教えていただきたいのですが、古くは死霊信仰や精霊信仰として始まった宗教というものは、自分たちの頭では理解できない何かを説明するためにつくられたものなんだと思っています。自分の生きる世界に何かおかしいことが起きていて、または起きようとしていて、しかしそれに対して為す術はないという理不尽な状況。人間の理解を超えた問題に直面した人間は、たぶん太古の昔からわからないことをわからないままに、わからないと認めることができなかったのではないでしょうか。わからないことに耐えられなかった人間は、自らより大きく強い存在という概念を生み出して説明をつけたくなった。そして人間より上位の神や精霊の仕業だということにして「彼らが行うことなら仕方ない」と自らを納得させ、また「彼ら」と「我ら」に線を引くことによって「彼ら」に対する「我ら」は団結することができた……そうやって、たとえば日本人でいえば地震や台風のような自然災害から何度も復興してきたのだと思うのです。

で、これって今回の「令和ちゃんのミスなら仕方ないね」と笑ってこの季節外れの暑さを気分良く乗り越えようとするツイッターの民の姿そのままですよね。これはザ・日本人というか、日本人に限らず、多分これが人間という生き物の賢さなんだと思うわけです。

人はいつだって 全て好き勝手

なんとかって言った連鎖の 上に立ったって

なおもてっぺんが あるんだって言い張んだよ

♪ RADWIMPS「おしゃかしゃま」

神を介在させられない世界で

ツイッターから原始宗教に話を飛ばしたあとでまた突飛な話を持ち出して申し訳ないのですが、じゃあ神のせいにはできない世界で、人間はどこに逃げ場をつくるのかということを考えてしまいました。これまで人間は「人(とは限らない何か)のせい」にして、苦難や理不尽を乗り越えてきたわけですよね。地震も台風も、メカニズムがわかったところで結局人智で防止できる問題ではなく、超人間的であることには変わりがありません。

でもそうじゃない問題、人間の力でなんとかできそうなことってたくさんあります。たとえばそう、これも最近何かと話題ですが、交通事故。交通事故を起こすのは、人間が作って人間が運転する車です。高齢ドライバーが若い命を奪うという事故もツイッター民の食い付きが良い話ですが、これも神の手違いで起こるものではありませんよね。だから故意では無かったとしても運転者は事故の責任を問われます。

今はまだ自動車が関わる事故の原因は凡そヒューマンエラーであり、言い方は良くありませんが、運転者を責めることができます。「あなたが注意して運転していなかったから人が死んだ」と。事故に無関係な人々が運転者を責める必要があるかどうかはまた別の問題ですけれど、とにかく運転者に法的に責任をとらせることができますし、被害者やその遺族が運転者を恨むのは自然であると考えられています。

でも、じゃあ、いつか自動運転の車に人が引かれたとしたら、傷ついた人は誰に責任を押し付けることで納得しようとするのでしょう?自動運転の車もやっぱり人間によって作られていて、何かあったときに神を存在させられるような余地はありそうにない。「令和ちゃんがおてんば娘だから、車もつられてお茶目しちゃったね(^_^;)」なんて言って納得できるわけがないし、計算上は起こりえないことだったと言われたら「じゃあその計算をしたバカは誰だ」という話にきっとなる。人間によるコントロールが可能に思われる世界で不具合が生じたとき、結局人間は責める余地のある人間を探して叩いてしまうのではないかと思います。そうして責任を問われるのは自動運転の車に乗っていたけれど運転していなかった人かもしれないし、車をつくった人たちかもしれなくて、それは私にはわからないけれど。

 

いや、冷静に、ちょっと暑いことを差し引いてもこんなにお出かけ日和だった日曜日の昼下がりに、私はなぜこんな湿っぽいことを考えているんだろうか。ということで「犯人探し」は昨今の過激な加害者叩きを行うネット民に限らない人間の性だなあと思った話と、元号の擬人化はもうお腹いっぱいだから「令和ちゃん」をミュートワードに設定してしまったという報告を終わります。「令和ちゃんのせい」で盛り上がって異常気象を楽しもうとする人間の強さが好きだし、異常気象を「令和ちゃんのせい」だと説明したくなってしまう人間の弱さが愛おしいと同時に少し怖くもある、というだけのことを3,500字も使って書いてしまいました。今日も最後までお読みくださりありがとうございます。ごきげんよう。さやかでした。

こうやって人は生きてゆくんでしょう?

生まれて初めての宗教が君です

♪RADWIMPS「五月の蝿」

五月の蝿 / ラストバージン

五月の蝿 / ラストバージン