こんばんは。さやかです。
早いもので,昨年末にこのブログを開設して1か月が経ちました。
1か月記念日……1か月ごときで記念日ぶるのって10代のカップルくらいしか思い浮かびませんね。
今の中学生カップルも,ツイッターのbioに「♡さやかfam♡since 2018.12.31〜∞♡男絡みいらん卍」とか書いたり,プリクラに「今日で1ヶ月♡いつもありがとう♡」とか書いたりするのかな。
私ですか?
私は勿論そんなバカなことはせずに,ちゃんとユウヤくんと付き合っていたときにはメアドに「yuyaxxx」を入れて,別れたらアド変してましたね。
今となってはメアドとかアド変って言葉すらも懐かしくて,胸が苦しいです。
さて,まだ生後1ヶ月のこのブログ。
読者数やブックマークについては通知が来るたびに確認していたのですが,1日のアクセス数は年末年始の数日以来ほとんどまともに見ていませんでした。
私は伸びないアクセス数を見て興奮するドMではないので……
つまり,読み手のことを考えるよりもとにかく自分が好きなように書いてきて,アクセス数が伸びないという現実から逃避をしていたわけですが,初めての節目らしい節目を迎えたということで,このひとつきを振り返ってみようという気分になりました。
毎度私事で恐縮ですが,そういうわけで今日は弊ブログの反省会です。
よろしくお願いします。
- 好きなことだけ書いてきた
- 切り売りコンテンツの果て
- 期待と失望、自信と実力
好きなことだけ書いてきた
なんだかんだで今日まで14本の記事を書いてきたらしく,これが15回目の更新になります。
平均すると2日で1本。
これはそう悪くないようにも見えますが,大学生の今ですら1日1本上げることができていないのは結構マズイかなと思っています。
このまま社会人になったら1週間で1本あげられたら良い方,みたいなペースになってしまう気がする。
そして,今回のタイトルにも入れたアクセス数。
じゃーん。これが今の私の実力です。
↑弊ブログのアクセスログ(2019年1月30日0:41現在)
ほとんどの日で100にも届いていないし恥ずかしいのですが,いつか「こんな頃もあったな…」と懐かしむことができるといいなと思いながら記録しておきます。
好き勝手に書きたいことだけを書いてきたことが招いた現実の厳しさを感じる中でも,一番多く見ていただけたのは1月23日。
この日に投稿した記事はこちらでした。
・ツイッター(@sayakacha_n)のフォロワーの関心と近い内容だった
・わかりやすいタイトルをつけた
・珍しく朝(8時台)に投稿した
という3点が良かったのかなと思っています。
特にこのブログは見てくださる方の8割ほどがツイッター流入らしいので,読んでもらうためには求められている内容をツイッターにおける反応から考えていかないといけないのだろうなと。
……だろうなとは思いつつ,自分が書きたいことばかりを,書きたいように書いているのが現状です。
それを書き尽くしたあとに「読まれる内容」を意識して書くようにすれば良いのかなあと思っていたのですが,そこに至るまでに息切れしてしまいそうな機運も若干感じています。
もう少し1記事を軽めにサクっと更新できるようにしたい。
毎回レポートみたいな分量で書いていたら,書く方も読む方も大変ですよね。
切り売りコンテンツの果て
先程の犬系女子の記事をはじめとした恋愛や幸せについて自分の経験から語る記事は,本を紹介するふりをして言いたいことを言う「本で語る」記事よりも作成に時間がかからないので楽です。
私の身に起きたことを私以上に知っている人はいないから,専門家の言葉で裏付けをとる必要もないし,自分の感傷的な気分さえ引き出せれば卒論の執筆速度の256倍のペースで筆が進みます。
ただ私は経験を語る上で状況を偽ると正しく伝わらない可能性があると思っていて,描写にほとんどフェイクを入れていません。
そのため,セクハラについて語った記事や,女らしい特徴を何でも「女子力」とか「アピール」に落とし込む人間に物申した以下の記事は,何らかのルートで知人の目に触れた場合身バレ不可避です。
私は,一部の女性がツイッターで「らぶりつ」を稼ぐためだけに自分の身体を写真や動画で晒すような行為を,女性性の切り売りだと思っています。
匿名性の喪失は常に不可逆的で,それは身体性がない場合も同じだと思っていて……
私は「さやか」という人格を私であり私ではないという曖昧な状態にしておきたいし,oyasumitte.comというドメインも,現世界の私とは離しておきたいなと思っています。
でも私自身の経験ってすでに私の骨肉となっているようなものなので,それをそのままここで「さやか」のコンテンツにしてしまうと,当然のことながら「さやか」があまりにも私の匂いを帯びてしまうというか。
端的に言えば匿名性が危うくなるのですよね。
このように,過去の経験をありのままに話すことは私自身を切り売りしていくようなものだと思っているので,調整が必要だろうと思っています。
でも読んだ方に共感できると言ってもらえることはすごくありがたくて,それはありのままに書いているのが良い方に働いているのだと思うし。
もうひとつ難しいなと思うのが,私は不幸な恋愛ばかりしてきたわけでもないし,だめだったときは大体自分に理由があったと思っているけれど,失敗を語るとき私にそのつもりがなくても,相手の悪口のように見えてしまっているとしたら悲しいなということ。
一度でも在籍した会社を悪く言うのって、自分の価値を下げる行為だし、
— ヒデヨシ (@cook_hideyoshi) 2019年1月29日
一度でも関係を持った女を悪く言うのって、男の価値を下げる行為だし、
一度でも好きになった男を悪く言う女は、女の価値を下げてると思う。
余談ですが,私が2019年の目標として「悪口や愚痴などネガティブな言葉を減らす」を掲げたのは,ヒデヨシさんが定期的に発信されてるこんな趣旨のツイートの影響も大きいです。
ブログを見ていてかっこいいな,こんな大人になりたいなといつも思っている人に,くだらない人間だと思われたくはないじゃないですか?
私は「人からどう思われるか」を物凄く意識するタイプなので,何かを始めたり止めたりするとき,結局「この人に悪く思われたくない」という感情が一番強烈な原動力になったりします。
時にその「人」が恋愛対象になってしまうと恋愛脳乙女っぽくなってしまうのですが,最近は自分の限られた気力とか時間の中で,恋愛に割いている分量がとにかく少なくて。
本題のブログの話に戻しますが,つまり何が言いたいかというと,私の持つカードの中では私自身の経験とか恋愛の話が一番ウケそうだということはわかったものの,今の私はあまり恋愛をしていないので,ツイッターやブログでコンテンツ化できそうな新規性がないという問題を抱えています。
そしてこれまでの乏しい恋愛経験だけで毎日ブログを書けるとも思えないし,恋愛って(反省が無駄だとは言わないけれど)相手があることだから振り返ってばかりいても仕方ないし,私個人の女性性と恋愛経験の切り売りでは現実世界の私と「さやか」が結びついてしまって身動きが取れなくなって終わる気がするし,読まれたいけれど自分が書きたいと思っていないことは書けないし,どうしたら良いの!?という閉塞感が,この記事を書くきっかけになりました。
そもそも,これまでの記事の内容のバラバラさに現れているように,私は雑多にいろんなことが気になってしまうのです。
興味の対象が一貫していなくて,常に「人間ってどこへいくんだろう」とか「お金稼がなきゃな」とか「婚活は向いていなさそうだ」とか「あの本読みたい」だとかを不規則にぐるぐる考えている感じ。
自分でも自分の思考の散らかり加減に目が回りそうで,それを整理していきたいなというのもブログを始めたきっかけではあったのです。
期待と失望、自信と実力
今日,この記事で書いてきたのは「ブログ,やっぱり難しいな」という弱音で,これはつまり自分自身への愚痴だと思っています。
不満とか愚痴って,結果よりも期待値が高かったときにしか生まれないはずなのです。
なんだ,私やっぱり大したことないじゃんと自分に失望してしまうのは,多分私が意識せずに「さやか」としての自分にかけていた期待値が,もう少し高いところにあったから。
自己嫌悪感が強い人は、本当は誰よりも自分に期待している。自分に課す理想がいつも高いから、その理想とかけ離れた現実の自分を否定して 責めて 自分を嫌いになったつもりでいる。自分を嫌いだと言い切る人は、現実以上に自分を特別視して 特別でない自分を自分だと認められない、自分が大好きな人。
— さやかちゃん (@sayakacha_n) 2018年12月12日
私は追われる恋愛と追いかける恋愛でいうと,追いかける恋愛が圧倒的に大好きなのですが,その理由は相手や自分に期待して,それが叶わなくてがっかりすることがないからなのかもしれません。
愛されることを期待すると愛されないときにつらいけれど,最初からどうせ愛されないと思いながら勝手に追いかけていれば,相手にも自分にも失望せずに済むのですよね。
思えばずっと,高望みすることを避けてきたような気がします。
「イケメンで金持ちで誠実な男と付き合いたい」なんて言ったことはおろか思ったことも無かったし,高校生の頃に志望大学を決めるときも先生に「無理めなとこを掲げておけ」と言われていたのにA判定の大学しか書かなかった。
ダメ元でいろいろ受けたつもりでメンブレした就活も,外資とか総合商社みたいなダメ元で受ける気にすらならないようなところには手を伸ばしていなかったし。
だから,私より学歴がない女の子が「男は旧帝・早慶以上じゃなきゃ」みたいなことを言っているのを見ると,単純にすごいなあと思います。
すごくないですか?どういう精神構造なの?学歴が早慶未満あなた以上の男のことはどうやって世界から消したの?
まあ好きな人に都合のいい女認定されてしまったのに,まだそこから逆転して付き合いたいと思ってしまったことがもし高望みであったと言われるのであれば,私も立派な高望み女なのですけれど。
ちょっと無謀な目標を立てて「夢見て倒れて立ち上がれ」を続けられるタフな精神と,「求めなければ辛くならない」からと静かに佇む諦念の姿勢とは,どちらが正しいということはないと思います。
分不相応な高望みをすることが悪だとは思わないし。
私が好きではなかっただけで。
実際のところ,期待がなければ失望もなくて,大きく躓くことはないけれど,それってすごく味気ないような気もします。
期待とか不満って,何かを頑張る力の大きな源になるものじゃないですか。
やればできるかもしれないと思えなかったらやる気にはなれないし,できなかったときにがっかりしなかったら向上心は生まれない。
実力がないのに自信を持ってしまうのはどうかなと私はよく考えてしまいます。
だからつい自信を持ちそうになる自分をセーブしてきたけれど,でも実力ってとにかくやってみることでしか身に着けられなくて,やってみようと思えるのは多分突き詰めると「まあ私ならできるんじゃないの」という根拠のない自信があるからかもしれない……?
私はいつも自分にないものばかり気になってしまって自分に失望しているつもりでいるけれど,その裏には自分への期待があったことになります。
それから数字を稼ぐ力はないけれど,少なく見積もっても1か月で7.5万字以上を書くくらいには文章を書くことが好きだという自負も,今すぐ持つことができるはずで。
これらを踏まえて今後の方針をまとめると,
- 自分で自分に課す目標を決める。
- 数字を使った目標を決めて反省もする。
- 出来たこともひとつずつ指をさすように確認して自信をつける。
- とにかく書いて人に読まれる文章を産めるだけの実力をつける。
- コンテンツ力を磨きながら自分の得意分野をもう少し探る。
それからこれはブログに限らないけれど,相対的な力不足と絶対的な実力不足を混同しないこと。
「あの子に比べて私なんか全然だめだ…」じゃなくて「あの子はすごいけれど,私もこのくらいならできる」みたいな考え方をしたい。
モテるあの子は確かに可愛い!可愛いけど,私だって引き立て役になれるほどブスじゃないけど?とか。
全体的にもうちょっと図太く,自分にも他人にも寛容になりたいです。
今日も最後までお読みいただきありがとうございました!
おやすみなさい。さやかでした。
寂しくないよ モテるあの子の隣だし
引き立て役になれるほどブスじゃないけど