どんな言葉で君を愛せば、

22歳新卒、OL人生のスタート

花屋で働くあの子はふわふわしてて、まるで花のようで今にもどこかへ行っちゃいそう。

 

こんにちは。さやかです。

 

今日はタイトルの通り(タイトルの通りではない),純粋な気持ちで綺麗な花を見に行ったのに,いつもの如く変にいろいろと考える羽目になってしまったという話です。

よろしくお願いします。

 

  • 意外とすぐそこバレンタイン
  • 贈られるより贈りたい
  • 世界はほしいモノにあふれてる

 

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意外とすぐそこバレンタイン

 

この記事を書き始めた今は2019年1月19日の正午です。

センター試験の初日だったそうですが,正直4年前に自分が受けたときの記憶はほぼありません。

気持ちの良い冬晴れの日だったような気がします。

私は暖房に弱い体質で,試験中に逆上せてよく鼻血を出す血塗れJKだったので,センター試験の一番の心配は「試験中に鼻血が出てマークシートを汚してしまったらどうしよう」というものでした。

結果としては試験中に鼻血が出ることはなく,過去問で満点解答を量産していた日本史でちょっとお茶目をしたこと以外は無事に終わったので良かったです。

ちゃんと家に帰ってから鼻血スプラッシュを経験しました。

 

さて話を今日に戻して,1月も19日が過ぎたということは,バレンタインまでもう1ヶ月を切っていることにお気付きでしょうか?

私はすっかり忘れていました。

こんなことは初めてです。

 

去年なんてクリスマスが終わったらすぐにバレンタインのことを考えていたし,本命チョコを決めるためにいくつものお店を巡るワンマンツアーを開催したし,生チョコを渡したかったけれど保冷ができない環境で渡すことになったら困るなと思って要冷蔵チョコと常温で渡せるチョコ2つ用意してたし,まあ〜〜〜それはそれは楽しかったです!

 

彼氏には適当にケーキを焼いて,大好きだった先輩には高いチョコを買って渡した年もありました。

片思いの相手に手作りの何かを渡せる人って本当に勇気とか自信がすごいなと思うんですよね。

私は自分が片思いされてる人からは手作りスイーツより安心安全な市販品を貰いたいから,自分が渡すときにもそこに逃げてしまいます。

 

と、こんな感じで何だかんだバレンタインには必ず本命チョコを渡してきた人生だったので,そういう相手がいない今年はなんだかちょっと寂しい気もしちゃいますね……。

 

あれ,今日は何の話だっけ?

 

贈られるより贈りたい

 

ところでバレンタインのチョコに限らず,プレゼントってあげる側が断然楽しくないですか?

相手は何を欲しがってたかなとか,これなら喜んでもらえるかなとか,色々考えて選んだものをどうやって渡そうかってさらにわくわくして。

渡すその瞬間まで,ずっと楽しいじゃないですか。

 

それに比べて受け取る側って変に期待しちゃうとろくなことにならないから,いくら呼び出されたのが誕生日とかバレンタインの付近であっても,受け取るその瞬間までプレゼントのことなんて意識から消しておく方がいいし。

プレゼントをもらう可能性とか,それが自分の欲しいものである可能性とか,そんなの全く考えなければ期待値ゼロでいられて,何かもらえるだけで喜べるわけです。

 

たとえば,大人の女性が誕生日に男性からぬいぐるみを贈られて心から喜べたとして,その要因は3つ考えられると思います。

 

1つは,そのぬいぐるみがまさに贈られた女性が欲しかったプレゼントそのものであった場合。

一番幸せな理由ですが,個人的にはこれは結構レアケースなんじゃないかと思います。

 

2つめは,女性にとって男性が,何を贈られても嬉しい相手=好きピである場合です。

JKが1年生のときにイケメン彼氏からもらった何の変哲もないペンを,高校3年間どころか大学生になってからも大事に使っていたようなケースは完全にこれですね。

クルトガはいいぞ。今のJKもクルトガ使うのかな。

 

そして3つめ,女性の期待値が「誕生日にぬいぐるみをもらうこと」以下に設定されていた場合。

プレゼントの内容はもちろん,貰うという状況それ自体を予測していなかったら,それが有害なものでない限り受け取った人は嬉しいはずです。

一般的にサプライズで相手の喜びを増幅することができると考えられる理由はこれだと思います。

 

ここで言いたいのは,だから大人の女性にぬいぐるみをプレゼントするなということではなくて,3つのうちいずれかに当てはまる自信がある人がプレゼントにぬいぐるみを選んで,それを実際に受け取った人が喜んでいるのならば外野の声はすべて大きなお世話だという話です。

 

一方で,このようにしてぬいぐるみプレゼント作戦が成功した人が他の人にもぬいぐるみプレゼント作戦を推すことは危険だと思います。

それを見た人が純粋な気持ちで「女子へのプレゼントはぬいぐるみが良い」と思ってしまう可能性があるからです。

 

私はプレゼントって,とにかく文脈を考えるべきものだと思っています。

 

たとえば道端で出会った石油王に突然500兆円もらっても嬉しくない……いや,これは異次元過ぎて嬉しいな。

例を間違えました。

 

付き合っている彼氏に誕生日プレゼントとしてアクセサリーをプレゼントされたら嬉しいけど,友達とか会社の人に急にネックレスなんて贈られたらちょっと困るというか戸惑うというか,不気味ですよね。

 

大学生の半同棲カップルなら記念日に彼氏がコンビニでケーキを買って帰ってきただけで嬉しいかもしれないけれど,社会人の彼氏が同じことをしてくれても「なるほどコンビニ…」と思ってしまうかもしれません。

 

パパ(意味深)に贈られたブランド物のバッグをツイッターで散々ダサいと扱き下ろしてから換金しちゃうJDちゃんも,バンドマンの好きピに「もう使わないからこれやるよ」と渡された古いピックを宝物にしているかもしれません。

 

こんな風にプレゼントの有難みは内容だけでは決まらないどころか,内容以前にほぼ決まっています。多分。

 

相手にとって自分がどんな存在で,どんな関係にあって,距離感はどれくらいで,相手の期待値はどこにあるのかという文脈を捉えた上で戦略を立てるのが良いと思います。

 

自分が相手より確実に優位な立場(相手にとっての好きピ)にあったり,プレゼントへの期待値が低そうだと思ったり,あるいは相手の言動にぬいぐるみが欲しいという明確な意志が見られるのであれば,ぬいぐるみのプレゼントは特に問題にならないはずです。

でもぬいぐるみは盗聴器があったら怖いから、一緒に買う以外の方法でもらうのは私は嫌かな。

 

さて,冒頭で紹介した花の合同展を見てきた私が考えたのは,この「欲しいという明確な意志」についてです。

ね、ちゃんと話が繋がったでしょ?

 

 

世界はほしいモノにあふれてる

 

というのは私の最推し俳優,三浦春馬くんがMCをしているNHKの番組なんですが,世界ってほんとに欲しいもので溢れてるじゃないですか。

 

世界はほしいモノにあふれてる - NHK

 

服も欲しいし,コスメも欲しいし,本も欲しいし,インスタ映え用の小道具も欲しいし,何でもない日に生花を自分のために買って #花のある暮らし とか付けて写真を投稿する余裕も欲しい。

 

私が今回「色を纏う花展」を見に行ったのは,ツイッターやサイトで告知を見て,本当に綺麗だな,実物を見て作品を買いたいなと思ったからでした。

 

prtimes.jp

 

会場の表参道ROCKETは想像以上にコンパクトなスペースでしたが,素敵な空間でした。本当に。

 

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欲しいものがありすぎた。

どれも欲しいと思ったし,それなのにどれも欲しくなかった。

 

私の中で全部同じくらい欲しいという状態は,全部同じくらいいらないという状態にとてもよく似ています。

経験上「絶対にこれ!」と感じるものが無いときには,どれを選んでも大概「これじゃなかったかも」と後悔する。

選ばずに手ぶらで帰るという結果が,全部欲しい/全部欲しくないという2つのシチュエーションに共通します。

 

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とにかく私は,花の写真に惹かれて,作品が欲しいという気持ちに突き動かされて展示を見に行ったはずなのに,多くの作品を見た途端,本当に欲しいのかどうかわからなくなって帰ってきてしまったのです。

 

え、こわくない?

綺麗な花を見に来て,どれを選ぶでもなく「欲望とは何ぞや」という謎の問いを抱えて真顔で去っていく女,こわくない?

 

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私は欲の内容について,プレゼント同様,結構文脈に依存していると思っています。

 

たとえば通勤中に何となく喉が渇いたなと思うとき,通りがかったおっさんが突然ペットボトルの水をくれても飲まないですよね。

でも旅の途中に砂漠を彷徨っていて,冷たい水をください できたら愛してくださいという感じに喉が渇いていたら,そこで知らないおっさんにもらう水でも有り難いですよね?多分。

 

通勤中に喉が渇いた時の欲求は「買える水がほしい(買いたい)」で,砂漠で死にそうだと「水なら何でもいいから手に入れたい」みたいな。

 

砂漠における欲求は「何でもいい」とは言いつつ,砂漠の真ん中というロケーションによって選択肢には制限がかかっていますよね。

水源まで歩くか水を持った人と出会うしかない。

同様に,道端でのどが渇いたらコンビニや自販機など買う手段の選択肢は多くても,そもそも買う以外の選択肢は原則無いと思います。

 

こんなふうに,文脈上選択の余地がないと,欲する内容がシンプルになって良いですよね。

行動経済学的にも人間は選択肢が多すぎると選べなくなる生き物らしいし。

 

それなりに自分が満たされていて、尚且つ選択肢が溢れている世界では「欲しい」という気持ち1つとってもとにかく種類が多すぎると思うのです。

心から手に入れたいと思っているのか,なくても平気だけど持った方が良いらしいからとりあえず持っておきたい程度なのか,SNSのいいねを押すような感覚の軽い好感なのか,とか。

 

「欲しい」気持ちの中身は複雑なのに,その全部を「欲しい」と一言で言ってしまうから,私は自分でも何が自分の本当に望むところなのかわからなくなってしまっています。

 

具体的には「彼氏いるの?」って聞かれたら「ん〜〜欲しいんですけどね〜」って返すようにしていたせいで彼氏が欲しいような気になっていたけれど,少し考えてみると私全然彼氏欲しいと思ってじゃん,ってなったりとか。

 

綺麗な写真を見て,花が欲しいような気がして買いに行ったけれど,実物を見たらなぜかその購買意欲がスッと消えてしまったりとか。

 

自分の考えていることってアウトプットしたものもしていないものもすべて見えてしまっていて,だからこそ自分の中の核心みたいなものが見えにくくなってしまうような気がしていて。

そう考えると,人にプレゼントをあげるときの方が,文脈を追っていくだけでわりと選択肢の幅を狭めていくことができるから楽なのではないかとさえ思います。

 

…….と,ここまで書いてきてふと思いました。

 

私は自分が「色を纏う花展」に行きたいと感じたことについて「花が欲しい」という気持ちからだと思い込んでしまったけれど,実はただ作品の展示を見に行きたかっただけなのかもしれないなと。

 

欲しいものがわからなくなったんじゃなくて,実物を見たかった欲が満たされたから満足したのかもしれない。

 

なんだ,単純じゃんと思ったけれど,これは見に行かなければわからなかったし,こんな風にブログのために自分の気持ちを文章化しなければわからなかったことです。

 

これをしたい!あれがほしい!と思ったとき,素直に行動してみるのは結構おすすめです。

自分が本当は何が好きで何を求めているのか,考えるという方法だけで理解するのはとても難しいから。

 

「色を纏う花展」,とっても良かったです。

23日まで開催されているようなので気になった方はぜひ行ってみてください。

 

あとタイトルに使ったSHISHAMOの「花」という歌もおすすめです。

私は一緒に花のような女になる道を志す女友達を欲していますので,そちらもぜひ…!

 

やっぱり投稿するの20日になっちゃったな。

最後までお読みいただき,ありがとうございました!

さやかでした。

 

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◯フローリスト&フラワーアーティストによる合同展「色を纏う花展」

◯会場:表参道ROCKET(表参道ヒルズ同潤館3F)

◯会期:2019年1月18日(金)〜1月23日(水)<会期中無休・入場無料>

◯時間:11:00〜21:00 <1/20(日)〜20:00、1/23(水)〜18:00>

OMOTESANDO ROCKET

 

君が二人の部屋からいなくなった

理由はわかってる あの子のところへ行ったのね

花屋で働くあの子はふわふわしてて

まるで花のようで今にもどこかへ行っちゃいそう

 

いつでもそばにいるような女より

いつかどこかへ行っちゃうような

そんな女がいいのでしょう

花のような女がいいのでしょう

 

♪ 花 / SHISHAMO

花, a song by SHISHAMO on Spotify