どんな言葉で君を愛せば|@oyasumitte

ハッピー賢者モードと人生イヤイヤ期を行ったり来たり

欲しがるばかりの少女ではいられない私たち

ドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」のお正月スペシャルをTVerで見ました。原作も連ドラも見ていないのですが、Twitterでこんな感想を目にしてしまってはじっとしていられず……

 

前提からしてなかなかにファンタジーなドラマにあまり細かいツッコミを入れても仕方ないので、見た感想を手短に。

https://twitter.com/oyasumitte/status/1345630370021036033

これは最後まで見ても変わりませんでした。

 

さて、番組内ではいくつもの社会的な問題提起が行われていました。たとえば夫婦別姓婚。

わたしは選択的夫婦別姓婚の法制化自体には、特に関心がありません。賛成する理由がなく、反対する理由も同様に無いからです。その為、本来は夫婦別姓の自由を主張する方を応援こそすれ、揚げ足をとる理由はありません。

 

一方で、女性の権利拡大の主張にはどうしても「男たるもの大黒柱にならねば」等の旧態依然としたジェンダー観を否定するという仕草がついて回るらしく、それが私にとって都合が悪いのです。なぜなら、私はその保守的な感覚をある程度共有できる男性と結婚したいから。男らしく、女らしくという価値観を全否定されると困ります。

 

未だ独身の身で何を書いても画餅に帰す可能性が高いのですが、私は何もかもを半分ずつ分担するのではなく、分業ができる相手と家族になりたいと考えています。自分よりサラリーマンとしての能力が高い(収入が多い)男性と結婚して、経済的に自分がサブになる分、家の中のことは私がやるというのが個人としての私の理想です。

 

就活をしていた頃、結婚して子どもを産んでも総合職として無理なく働き続けられるかどうかを判断材料に加えていた時点で、私はあくまでもサブの柱として生きるつもりだったような気がします。一人でも生きていける経済力は持ちたい、ただし一家の大黒柱になるような気概も意欲もない。これらは当然、専業主婦家庭で育った影響も大きいのでしょう。


私は、二人が精神的に対等であるかということと、客観的に対等な関係に見えるかということは別の話だと思っています。そして、社会的な庇護を受けたい側が家庭的な奉仕をするのは当然のことで、側から見たときにそれがどうしても従属関係の色を帯びてしまうことは仕方がないとも考えています。

私はサブのポジションを望むけれど、女性は大黒柱になれないとは全く思っていないし、働き手としてサブ担当になったらメイン担当に従わなければいけないとも思いません。決裁権はより多く稼ぐ方にあるのが自然かなとは感じますが。

 

そして、私がパートナーとして「男らしい男」を求め、自分自身もまた「女らしい女」に収まりたがること。これは私の個人的な選択に過ぎない一方で、大局的には旧式ジェンダー観の強化、性差別の再生産に加担する行為にあたるのだろうと思います。

 

私のような個人による選択、部分最適が積み重なって強化されてきた旧いジェンダー観。それに対して様々なアクションを起こす活動家の方がいます。彼らの運動によって、妻の主婦業に対してお金を払う男性や、妻に合わせて自分の姓を捨てる男性、長期で育児休暇を取得する男性が増えることは全く構いません。

私自身、保守的な女性像に収まりたがる一方で、一社会人として働き続け、経済的な自立を保ちたい気持ちも抱えています。そして女である私がこれを当然の如く語れるのも、過去に女性の権利獲得に尽力してくれた人々がいたからに他ならないわけです。この点は忘れてはいけないと思います。

 

 

ただどうしても、ツイッター等で一部のフェミニストの方々を見ていると、大きなお世話であることは承知で気になってしまいます。自らの権利や自由を主張するときには、もう少し慎重になるべきではないかと。

異なる意見を持つ人を蔑んで自分を正当化すれば、その相手には当然敵意を持たれます。自らの家事労働に金銭的な対価を求めれば、相手が家事に協力的なパートナーでいてくれると望むことは難しくなります。

 

「権利には義務、作用には反作用がついて回ることを理解して、欲しがるばかりでなく自分は相手に何を与えられるかを考えられる人」が、私の中の大人の定義かもしれません。

これは自戒ですが、欲しがってばかりいる人はどうしても幼く見えてしまいますよね。私も、自分や好きな男性の価値観を否定する人を幼いと批判してマウントを取りたいだけの子供なのかもしれませんし……

 

 

さてここまで、逃げ恥SPを見てTwitterで見かけるフェミニストの方々を連想し、取りとめもなくつらつらと書いてきました。まさか新年1回目の更新がこんな愚痴っぽくなってしまうなんて。無理矢理ですが、結婚(の目処を立てること)も今年の目標のひとつなので、自分が結婚に何を望むのかを整理できてよかったということにします。

https://twitter.com/oyasumitte/status/1345642731146629126

 

あけましておめでとうございました。

今年もどうぞ宜しくお願いいたします。

ひとの人生に口を出す権利

こんばんは。さやかです。

今回は「他者の人生に口を出す権利」について、私が誰のものだと考えているかを書きます。「口を出す」という言葉は、字面通りの意味から一歩進んで、実際に干渉・介入するような言動をイメージして使っています。

 

ベースは持論ですが、内容としてはツイッターで見かけた漫画『愛してるかも知らない』を読んでの感想なので、まだ読まれていない方はぜひ漫画を先に。下記ツイートがツリーになっています。(12/15現在、私が読んだのはツイート1-6の分です)

 

大変情趣を解さない行いで恐縮ですが、今回は便宜上、ストーリーをざっくり整理します。

 

1年前、結婚したかった29歳OLの主人公は、「結婚を1年待ってほしい」と言う元彼からすぐ結婚できる男に乗り換えた。しかし自分の病気(子宮頸がん?)が判明して結婚は破談となり、現在は独身で闘病中。

1年後、主人公と女友達が一緒にいるところに、元彼が(主人公とのプロポーズの約束を果たしに?)現れる。喜んで元彼に駆け寄ろうとする主人公を女友達が強く制止した……

 

https://twitter.com/oyasumitte/status/1338382581117534214

 

個人的に、主人公を元彼のもとに行かせなかった女友達(涼子)の言動には強烈な違和感を覚えました。それを2つに分解して説明します。

 

彼女、本当にあなたの友達なの?

まず気になるのが、彼女にとって最も大事なことが、友人であるはずの主人公(の主観的な幸せ)ではないという点ですね。

言っている内容がある意味正論であることは間違いないのです。ただそれを主人公の友達として主人公に言うか?と。

はっきり描かれてはいないので推測に過ぎませんが、彼女は主人公よりも主人公の元彼寄りな匂いがします。元彼寄りというか、彼のことが好き、或いは過去に好きだったことがあるように見えてしまいました。

「共通の友達として元彼に主人公の病気を背負わせるのは酷だという判断をしたに過ぎない」という可能性は当然あります。ただそれでも結局、主人公の幸せについては然程思い入れがないという点は変わらないのかなと。

彼女は本当に、主人公がその意見に耳を傾けるべき友人なのかな、というのが1つ目の違和感でした。

 

他人の人生に口を出す権利

2つ目の違和感を述べる前に、先に書いた1つ目の違和感を一度棚に上げ、仮に彼女が本当に主人公の幸せも願う良き友人だとします。そうだとしても私は、やはり彼女が元彼に駆け寄ろうとする主人公を止めるのはやりすぎだと感じるのです。

それは私が、他人の人生に口を出せるのは家族だけだと思っているからです。家族もしくは将来家族になる人、相手の人生の一部に責任を持つ意志がある人。女友達という存在はこれにはあたらないと思っています。

ましてや家族だって口を出す権利はあってもコントロールする権利までは無い、と思うと余計に女友達の行動が過干渉に映ります。主人公の生き方(ここでは元彼に縋りたいという選択)に対しても、元彼の生き方(主人公との約束を守るという選択)に対しても、彼女は何ら判断を下す立場にないというのが私の感想です。

 

恋人として付き合うことの意味

他人の人生の選択に意見する権利。

私は、恋人と友人のボーダーラインもそこにあると考えています。普段はあまり意識しないけれど、転職だったり転勤だったり、人生の要所要所では明らかになる差かなと。

たとえば今、ある企業の東京支社で働いている私が、海外支社に異動を命じられたとします。駐在の期間は未定。恋人も友達も皆んな東京にいる。その条件下で、私が異動を報告した際に「え、ちょっと待ってよ」と言われて違和感がないのは、恋人だけです。

彼には「(自分との結婚を考えるのであれば)東京で働き続けられる会社に転職してほしい」と私に告げる権利があるし、私はそれに真剣に向き合う義務があると思います。お互いが結局どういう選択をするかは別として。

一方で、どんなに仲が良くて頻繁に会っていても、男女問わず友達に「行かないで」と待ったをかけられたら戸惑うし、自分が進路を選択する上での材料にはきっと加えません。逆の立場でも友達に「行かないで」とは言わないですね。

もし私に今、恋人同然なのに名前はないエモい関係〜みたいな相手がいたら、その人に転勤とか転職について色々言われるのもちょっと違うなあと思います。私が好きな人と付き合うことに拘るのは、関係に名前がつく以上の意味があると思っている為です。

 

さてここまで、付き合っているだけでは友達と大差ないと思う人とか、友達にも人生を色々心配されたい人とか、私とは感覚が異なる人がたくさんいるのだろうなと思いながらも持論を展開してきました。

私はやはり、家族になる予定も意志もない友人関係においては、相手の生き方には口を挟めない、挟む権利がないと考えます。だから『愛してるかも知らない 6』の女友達の言動が行き過ぎに見えてしまいました。

ただ、女友達が主人公を元彼のところに行かせなかっただけの事を、「他人の人生に意見する権利」とかいう大袈裟な話にした私の方がやりすぎている説も十分にあるのですよね。そんなことに今更気づいてしまい、恥ずかしくなってきたのでおわります。

 

最後までお読みいただきありがとうございました!おやすみなさい、さやかでした

おしまいになりたいって何?と笑われた夜に戻りたい

24歳くらいで死にたいとずっと思っていた。

先月、わたしは24歳になった。これからどれほど楽しいことがあるとしても、今みたいな日々も同じように続くなら、やっぱりもうおしまいにしてしまいたいなと思う

 

一方で、22まで私に何不自由ない暮らしをさせ、何の借金も負わさず大学まで卒業させてくれた親よりも先に死ぬの?今2人に何かあったら、まだ高校生の妹はどうするの?ということを考え出すとどうしようもなくなってしまう

 

実際のところ、まだ祖父母は存命だし両親の兄弟家族とも関係は良好。両親に万が一のことがあってそのときに私がいなくても、弟や妹のことはどうにでもなるのだろう。逆に私がいれば妹に満足な学生生活を送らせてあげられるかと考えると現実的には厳しい

 

じゃあ私は、一体何のために生きているのだろう。ひとりだとそれがわからなくなってしまうから、私は結婚したいのかもしれない

 


そういえば、幼い子どもを残して母親が自ら命を絶ったニュースを見ると、「子どもがいるのに」と多くの人が思うらしい。もちろん産後に辛い思いを経験された方をはじめ、幼い子どもがいる状況は女性が精神的に追い詰められやすいことを知っていて「とても母親が無責任だなどとは言えない」と反応している人も見かけたし、皆がそうだとは言わない。

でも「子どもを生む/育てることは、親自身の生きがいになる」というのは、何となく皆が共有している感覚ではないかと思うのだ

 

しかしその裏で、幼い娘をもつ母親と思われる方が描いた「ずっと死にたかった私が子どもを生んだら死ねないと思うようになった」という趣旨の漫画が、一部の心ない人たちのおもちゃになっているのも見てきた。

緊急事態宣言下にツイッターで話題になったその漫画は、「若い頃、漠然とずっと私は死にたかった」という独特な語順の一文に始まる。そして彼女が28歳で結婚、29歳〜30歳で出産したことが描かれ、あどけない娘の笑顔を見て「(コロナウイルスに感染して)死ねない…まだ死ねない」「1日も早く収束しますように」という結びで終わっていた。投稿ツイートをご本人が削除されているので画像は載せないでおく

 

子どもを生んだら責任を持って育てるべきという感覚と、子どもを生み育てる中で親としての責任と生きがいを感じるようになること、結果的には矛盾しないはずなのに、前者の感覚をもっていると思われる人が「子どもが生きがいになった人」に対して何か言いたくなるのはどうしてなのだろう。

後者の隙は順番?

 

結婚して妊娠した女性も、妊娠して結婚した女性も、結果として母になっているだけ未婚子無しの私よりえらい。えらいと私は思う。

順番なんてどっちでもいいじゃない?生んでから母親として生きる覚悟を決めても、覚悟を決めてから生んでも。付き合ってから関係を持っても、関係を持ってから付き合っても

 

 

でも関係を持ってから付き合うパターンばかりでそれが結婚に繋がっていないわたしは、やっぱりもっと順番を重んじるべきなのかもしれない。そう思って時には慎重になってみるけれど、結局話し合いだけでその相手のことを元恋人よりも好きになるなんて無理で、諦めて寝技に持ち込んで自分の気分を高めて付き合って、そうやって築き始めた関係も今また終わりそうで死にたくて、わたしは一体何をしているのでしょうか

 

お前はどうしたいの?わかりません

 

 

去年の冬、死にたいをおしまいになりたいと言い換えていた私のアカウントを特定して「おしまいになりたいって何?」と笑ってきた元彼のこと、その夜は確かに好きだった。付き合い始めたときに好きではなかった人のことを付き合ってから好きになれたのは、自分の中でその順番が逆になったのは、彼が初めてだった

 

夏には友達になりたいと言われて、友達になりたいって何だよと思っていたのにいつのまにか本当に良い友達になってしまった。これも順番が逆。友人から恋人になるのではなく、友人であった期間がない恋人が友人になった。私は何もしていないので、偏に傷心中の私を「美味しいものたべよ!」と誘い出してくれた先輩や友人のおかげだ

 

新しくできた友人は数年後に結婚するつもりらしいから、このまま友人関係に身を置き続けるのであればいつかそれを祝うことになる。自分がまだ独身でも。そんな懐深い振る舞いが私にできるかしら。でもその未来を怖れて今のうちに縁を切るほど私は強くないし、ああもう、やっぱり、おしまいになりたい

 

お前はどうしたいの?

好きな人と結婚したいです