どんな言葉で君を愛せば|@oyasumitte

ハッピー賢者モードと人生イヤイヤ期を行ったり来たり

声に出して読みたいお名前「ズビグニエフ・リプチンスキ」

こんばんは。さやかです。先日、昨年からずっと行きたいと思っていて、忘れないように度々ツイートしていた「窓展」にやっと行ってきました。

 

そんな窓展で、個人的に一番面白かったのはこれ。ズビグニエフ・リプチンスキが1980年に発表した映像作品です。

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画像通りというかそれ以上に沢山の人物が登場するのですが、わたしは下品な裏垢女子なので、初見では裸の金髪美女や互いの身体を貪り始める若い男女にしか目がいきませんでした。

そして詳しいことは忘れましたが、この作品がすごいのは、デジタル技術のない時代に7か月もかけて作られたという点らしいです。確かにそれを聞いてから見ると、ただのシュールな動画ではない。なんとyoutubeで全編見られます。最後まで見ても8分ほどなので、ぜひ。

 

さて窓展を振り返って何を書こうかしらと、はてなブログのアプリを立ち上げたときに気付いたことがあります。特に書くことがない。見てきて良かったとは思うものの、長文で書き起こしたいと強烈に感じるものが今回は自分の中に残っていなかったのです。

例えば六本木で日本の昔ながらの遊戯展を見に行ったときのブログは、とにかく結婚というゴールだけを目指す19世紀の双六や、全然隠れられていない覗き行為こと垣間見を見て、ちょっとふざけながらも自分なりの角度で感想を綴ったつもりです。

今回見に行った窓展と同じ国立近代美術館で開催された企画展「福沢一郎展」の記事では、内容を紹介しつつ何だかまあ偉そうに自分の教養観を語っていました。

それが今回このブログを書こうと思ってブログを開いて、自分の中の感想の無さに驚きました。1時間半かけて展示を見たのに、自分の中に何も残った気がしないのは何なのか。

もしかして一緒に行ったのが好きな人だったからではないか、と大真面目に考えました。展示よりも隣の男が何を考えているのか、作品を見た私はどんな感想を述べるのが正解なのかを考えてしまって集中できなかった?

それとも福沢一郎展で見た超現実主義の作品は日本史と絡めて楽しめたのに比べて、今回は展示の編集・解説が私の不得意な美術の方に寄っていた?

 

それも全く無いとは言えませんが、おそらく直接的な敗因は何もメモしていなかったことだと思っています。

通常、私は美術展に行くと、気になった作品名はもちろん、解説の中で惹かれた言葉やら何やら片っ端からメモを取ります。そして過去にはこんなツイートもしているように、それは大体ツイッターの下書き機能を用いて行っています。下書きなら文字数制限もなく、同時に調べたネットの情報のスクショもサクッと貼り付けておけるので。

このル・コルビュジエ展も作品自体は特に気にいるものがなくて、ただ彼の言葉(の訳文)は、それに出会えただけでも足を運んでよかったと思えるものでした。

今回で言えばそれは先ほど紹介した『タンゴ』になるのでしょう。いくら誰でも・どこでも見られるyoutubeで公開されていても、おそらく私は窓展で遭遇しなければこの動画作品を見ることはなかったはずです。でも一度知ったことによって、この先見たいときにはいつでも見返すことができるようになりました。

 

それから、もう一つメモを取らなくても印象に残ったのはマルセル・デュシャンの『フレッシュ・ウィドウ』。

実はマルセル・デュシャンは私にとって、現代美術への漠然とした苦手意識を払拭するきっかけとなった芸術家です。2018年11月、東京国立博物館で開催されていた特別展「マルセル・デュシャンと日本美術」。先に見に行った友人の好評を聞いて行ってみると、確かに良かったのです。一人の作家にフォーカスした展示を見るのはほとんど初めてだったのですが、作風の変遷や当時の一点物芸術への批判の意図だとか、展示の編集によって素人でもこんなに素直に飲み込めるようになるんだと驚いたのを覚えています。

東京国立博物館 - 展示 日本の考古・特別展(平成館) 東京国立博物館・フィラデルフィア美術館交流企画特別展「マルセル・デュシャンと日本美術」(開催期間は終了しています)

 

見て知ったことも考えたことも書き留めなければすぐに忘れてしまうし、それは確かにもったいないことではあります。だから自分の頭以外の場所に記録しておくことはとても大切だと思うのです。私も「窓展」の詳細な感想はもう思い出せないし、「マルセル・デュシャンと日本美術」なんて展示を1年ちょっと前に見たことなんて完全に忘れてしまっていました。

でも今回の窓展でデュシャンの作品を見たことをきっかけにデュシャン展を思い出したように、べつにアウトプットしていない経験や感想だって自分の中には当然きちんと残ってるのだよな、と。

 

自分で考えて噛み砕いて言葉にして残すことって、確かに私が大切にしたい行為の一つです。でもそれをする為の時間的・精神的な余裕が欠けていたりモチベーションが上がらなかったりするタイミングは確かにあって、その間に経験するインプットに次ぐインプットだって、自分の中に何も残らないわけではないはず。

矛盾することを言うようですが、自分が見聞きした知識とか自分のものにした経験について、書いて記録しておくということは後々思い出す為の1つの手段であって、上から新たなインプットを重ねて記憶を呼び起こしながら繋げていくというのも同じ手段としてある程度有用なのかなと思います。勿論これはあまりブログを更新せずに日々過ごしていることへの言い訳でもあるわけですが。

 

さて、全く内容を紹介できなかった窓展は今週末までです!

出雲と大和展は既に開催中ですが、私は見たいものが後期展示になっているので2/11以降に見に行きます。メモを残しながら見てきて、きちんと展示についてのブログを書けるようにしたいです。

ここまでお付き合いありがとうございました。おやすみなさい。さやかでした。

 

▽窓展

▽出雲と大和展

 

今を愛して今があるんだ 愛したことに胸を張るんだ

明けましておめでとうございます。2018年の大晦日にこのブログを始め、昨年末にはその1年間の振り返りをすることもなく新年に突入してしまうような怠け者ですが、本年もどうぞ宜しくお願い致します。

 

改めまして、こんばんは。さやかです。今回は2019年をブログも含めてざっくり振り返り、それを踏まえた上で2020年の目標を宣言するつもりです。

 

2019年まとめ

1月

表:卒論発表の準備

裏:ブログをたくさん書いた

私の2019年の大きな目標は,自分を好きだと言える自分になることです。(中略)

幸せなときに自分のことを嫌いだと思う状況ってあまり想像がつかないので,基本的には幸せに機嫌良く過ごせたら,自分を好きでいられるのではないかと考えています。

もはや前置きとかそういう次元ではない。 - どんな言葉で君を愛せば、

自分にしかできない仕事って探せば最初からそこにあるものではなくて,誰にでもできる仕事を自分にしかできない仕事に変えられる人になって,初めて与えられたり,挑戦できたりするものなのではないかと私は思っています。(中略)

私はそうやって人に必要とされる存在になっていきたいし,そうやって手に入れた仕事とお金で自分自身を幸せにできる人間でありたいです。

僕にできなくて誰かにできるような そんなことばかり溢れているけど。 - どんな言葉で君を愛せば、

『人懐こいのが私だけれど,この性質のせいで押せばヤレると思われることに疲れてしまった。自分を変えるべきか?』

私は,自分ではなく戦略を変えるべきだと思います。

犬系女子が考える犬系女子の特徴と手懐け方。そして犬系女子が幸せになる3つの方法 - どんな言葉で君を愛せば、

放っておくとひとりで自分の力不足に落ち込んでしまう私に,このブログを読んだ方が「良いと思う」「良いから書け」と言ってくださるので,今日も調子に乗って3800字書いています。

ぼくの言葉が誰れかのことを 少しでも幸せにするんだろうか。 - どんな言葉で君を愛せば、

 

2月

表:卒論発表をした。卒業旅行に行った。

裏:ブログがスマートニュースに載った

偏見なしに飛び込んでみないとわからない世界ってたくさんあって,最初から「自分はこうだから」と選択肢を狭めてしまうのはとてももったいないことだと思います。自己分析や他己分析,インターンへの参加やエントリーシートを書くことを通して,見えてくる自分の顔はあるけれど,(中略)思考や動機を言葉に落とし込んで,それで自分を理解したようなつもりになって選択肢を狭めないこと。

1年前の自分と話せるなら、自己分析の呪いについて忠告したい。 - どんな言葉で君を愛せば、

人生の満足度を高めるために重要なことは,とにかくそれを「自分で選んだ」と思うことです。自分で選んだ大学に進み,自分で選んだ会社に勤め,自分で選んだ人と付き合っているのだと。自分には選択の自由があり,その自由を行使した結果が現在であると思うとき,人生における満足度は大きくなります。

どんな期待で未来を描けば、私たちは最も幸せになれるのだろう。 - どんな言葉で君を愛せば、

将来のことがわからないのは不安だ。好きな人に好きになってもらえなかったら,つらい。でも彼女の身の上話に私が共感できたのは,私がそれを経験してきたからで,それはつまり,彼女の涙の理由になった出来事も私が泣きたくなった体験も,ありふれているということになる。ありふれていたら悲しくない?そんなわけはない。「不安なのはみんな同じ」,「失恋なんてよくあること」。だから何だと言うのだろう。

他人に差し出すティッシュは、目で見て手で触れる優しさだと思う。 - どんな言葉で君を愛せば、

ちなみに Smart News に掲載され、記事単位で過去一番閲覧されたのはこれでした↓

「絶対に何もしないから」は100%の敗北宣言だと思う。 - どんな言葉で君を愛せば、

 

3月

表:旅行に行ったり引っ越したり大学を卒業したり

裏:ブログがはてなブログTOPに載った

はてなブログ公式のトップに掲載され、多くの人に読んでいただいたのはこれ↓でした。被ブクマ数最多記事でもあります。

なぜあの人は過剰に改行するのか。私はなぜそれを嫌うのか - どんな言葉で君を愛せば、

 

4月以降はブログの更新頻度も落ちたのでサクサク行きますね。4月、入社。5月、研修。6月、配属。夏、失恋。秋、婚活。冬、虚無。

ハロウィンの頃を境に生活に占める仕事の割合が拡大して、とにかく目の前のことにあたっている間に年末が来て年が明けていました。計画性ゼロ、振り返ると何をしていたのかよくわからない日々でしたが、仕事はしていたはずです。

 

さて数日前、年末に省いた1年の振り返りや新年の目標宣言の為にブログを書かねばなと思っていたところに、こんな質問をいただきました。

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今年の目標は「後悔をしない」

「もう一度就活が出来るとしたらどんな業界のどんな職種を選びますか?」、これは私にとって答えるのが難しい質問です。

理由は3つあって、まず質問の背景が全く見えないこと。私はマシュマロにお返事するときには、その質問がどんな立場のどんな人からどんな文脈で発せられたものかを考えるようにしています。もちろん対話ではないので書かれなかった部分は想像で補っていくのだけれど、今回は何の情報もないので、この工程がかなり難しくなっているわけです。質問者さんの人物像はパッと思いつくだけでも、就活を控えている学生、今している学生、もう終えた上でその結果に自信が無い人……勿論この中のどれでもない可能性もあります。

答えにくい2つ目の理由は、私は自分が今いる会社しか知らない、もっと言えば、今の会社ですらまだ1年も働いていないという点にあります。やり直してもやっぱり今の会社・業界を選ぶとか、やり直したら選ばないとか言えるほど私はまだ自分が働く業界について理解していません。私は最近プチ炎上したようなトップファームのコンサルではないから、半年同じところにいても自分の言葉で評価できるほど自分のいる業界を理解したとはとても思えません。

最後の理由が最大の問題で、「もう一度就活が出来るとしたら〜」という質問に対する答えは、私が設定した後悔をしないという目標の下では「やり直しても今の会社を選びます」しか選べないということです。それ以外の回答からは、どうしても後悔が匂い立ってしまう気がするから。

 

「後悔をしない」とは?

色々言い訳がましく書いてきたことからお察しされた方もいるかと思いますが、正直なところ、今の私にはとても「就活をやり直しても今の会社を選びます」とか、生まれ変わってもまたこの道を選びますとは言えません。先程は綺麗事を述べましたが、はっきり「やり直して違うところに行きたい」と思う日もそこそこの頻度であります。苦しいことはあるし、自分の選択に自信はないし、隣の芝は青い。

でも就活をやり直す機会があったとして、隣の芝がいざ目の当たりにしたときにも青いままなのかはわかりません。一方で今自分の目の前にある苦しさがずっと続くとも限らなくて、だから今「選び直せるならここ以外の場所を選ぶ」とは言えないし言いたくないのも本音です。

今年の私の目標は「後悔をしない」。

これは慎重さを捨てて無鉄砲になるとか、何でもやってみるとかいうこととは少し違っていて。避けたいのは、ただ漠然と不安を抱えて二の足を踏むこと、自分の選択を嘆くばかりでさらに最善から遠ざかる道を選ぶこと、それだけ。

考えるべきことは考えた上で、検討すべきことは検討した上で、機会があれば挑戦をする。そして結果がどうであれ後ろ向きに振り返って嘆くのではなく、現在地からどこへ向かいたいか、その為には何をすべきかという問題に集中する。選択に際して万全を期すことは無論大切なのだけれど、それでもとにかく一度自分が決めた物事に関して、これでよかったんだ、これが良かったんだと思えるように自分で自分の選択の先を磨いていく1年にしたいのです。

 

日日是好日。

今に始まったことではありませんが、書けば書くほど当たり前のことしか出てきません。

今年というか 今年、私は当たり前のことを当たり前に、そして可能な限りで当たり前以上のことも当たり前にする姿勢を大事にしたいし、そういう自分を下手に人と比べて落ち込まないようにしていきたいです。

何だか「自分を好きになりたい」と言っていた1年前と代わり映えしないことを言っていますが、実は2019年、私は結構自信をつけたような気がしています。偏に褒め上手な友人、職場の先輩、このブログを褒めて私を調子にのせてくれる方々のおかげです。

またもっと小さな目標としては、週に1冊以上新しい本を読むことと、下記の2つを掲げます。

ちなみに2019年の目標の一つだった「日記をつける」は誰にも読まれないと思うと習慣として続かないことがわかったので、今年は誰にも見られずに書きたいときにだけノートを使うことにしました。

 

「もう一度就活が出来るとしたらどんな業界のどんな職種を選びますか?」というマシュマロをくれた方は、きっと「やり直してもこの会社を選びます!メーカーの本部勤務はいいぞ」とか「やり直せたらメーカーは選びません。金融に行きたい」とかいうさっぱりした答えを求められていたのだと思います。ごめんなさい。どちらも言いたくなかったので、このような長文でのお返事となりましたことをお許しくださいませ。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございます。本年も宜しくお願い申し上げます!

おやすみなさい。さやかでした。

英文 詳説世界史 WORLD HISTORY for High School

英文 詳説世界史 WORLD HISTORY for High School

 

 

今を愛して今があるんだ

愛したことに胸を張るんだ

ー Hey!Say!JUMP『アイノユウヒ』

有田・波佐見でひとり旅をしてきた件。

人に何かをおすすめするのはとても難しい。単に自分が気に入った物や場所を言っておけばいいというものではないからだ。

 

ツイッターで「○○ってお店の△△が美味しかった」と周知するだけならいざ知らず、たとえば誰かに直接「おすすめの本は?」と聞かれたら私は、自分が知っている情報の中からその人の趣味趣向に沿って検討しようとするし、そうでなければならないと思っています。逆に「最近読んで良かった本は?」と聞いてもらえるときはシンプルに好きだったものを答えればいいので楽。

最近その「おすすめ」問題に関して、相手に申し訳ないことをしたと思った事がありました。初対面の男の人におすすめの本を聞かれて、あまりお互いのことを知らなかったし話の流れで聞いてくれただけだと思って、出来心でその週読んでいた本を適当に答えてしまったのです。翌々日「昨日早速買って読みました!」と言われたときに自分の不誠実を悔やみ、その本が好みだったらしいのを受けて、それなりに考えた上で次のおすすめをさせてもらいました。

余談が長くなりましたが、そんな私が「おすすめを聞かれて答えるのが難しいものランキング」で3本の指には入るだろうと思うのが旅先です。それを踏まえて、ここからが本題。

 

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長崎県東彼杵郡波佐見町

に行ってきました、という話をします。完全なる個人の旅行記です。

東彼杵はひがしそのぎと読みますが、さて、波佐見と聞いてピンとくる方はどれくらいいたでしょう。波佐見といえば波佐見焼、焼物の町。地理的には、焼物界で格段の知名度を誇る有田焼の産地・有田(佐賀県)の隣にあります。私は今回、波佐見焼の産地として波佐見町に惹かれ、一人で旅行に行ってきました。

私が焼物に興味を持ったのは至極最近のことで、初心者中の初心者だった為に波佐見焼の歴史はもちろん陶磁器全体に関しても学ぶことだらけで、それはもう楽しい1泊2日の旅でした。が、最初に述べたようにそのことを理由として万人に波佐見町をすすめられるかという問題になると難しいところです。その理由は1つ。公共交通機関という概念がほぼ存在しないこと。

自家用車またはレンタカー(あるいはタクシーを乗りまわせる財力)が無いと身動きが取れないのは、波佐見に限らず地方の観光地ではあるあるです。田舎では車こそパワーなのです。車を持たない人間は無力。風の前の塵に同じ。

 

有田ポーセリンパーク

今回は波佐見焼の生産地・波佐見町に行くという目的があっての旅行でしたが、ついでといいますか、せっかくなので隣町の有田にも行ってきました。あまり時間もない中で、観光ガイドにとりあえず行っておけと書いてあった有田ポーセリンパークへ。

博多からJRの特急に乗って有田駅で降りると、駅前には何もありません。これは想定の範囲内です。1日に何本かはあると前情報を仕入れていたバスの時間もタイミングが悪く、駅前にいたタクシーで向かいました。駅から1,500円ほど。

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佐賀県にある酒造・有田焼のテーマパーク 有田ポーセリンパーク

見所になっているツヴィンガー宮殿ですが、率直に言うとこれのためだけにわざわざ有田から山を登ってくるのはちょっともったいないかなという感想でした。綺麗は綺麗でしたけれど。

また私はニワカ日本酒好きなので、隣接する宗政酒造さんの酒蔵も見学してきました。
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酒造とは別にあるパーク内の直売所で試飲をさせてもらえるのですが、ここにいるおじさんは気前が良すぎるので訪れる際には注意してください。私は清酒宗政の蔵出し原酒、初しぼり特別純米原酒、特別純米酒ruri munemasa、純米吟醸、梅酒眠り姫、本格焼酎のんのこ芋、とかもう本当に片っ端から試飲させていただいて。年末の帰省の手土産用に初しぼりなどいくつか購入してから、山を下りました。
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歩いて山を下りました。何もない、舗装も怪しい道を。
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歩いて、山を、下りました。川が綺麗でした。
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予約していたホテルの送迎車が下りた先の有田・波佐見ICまで来てくれることになっていたので、ポーセリンパークからそこまで20分程度歩いたのですけれど、ずっと何もない道を来て、インターに近づいたときに突然目の前に現れたのがこちら。

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波佐見焼ブランドを牽引する「有限会社マルヒロ」さんの直営店でした。

有限会社マルヒロ | 波佐見焼の陶磁器ブランド

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床が陶器でつくられていて、最初に足をのせるときはヒヤヒヤすると思います。

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クリスマスシーズン限定のこちらのシリーズ一式やら丼やらを購入して、いざホテルへ。
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ブリスヴィラ波佐見

私が泊まったのは、田畑が広がる風景の中、突如現れるホテル「ブリスヴィラ波佐見」。波佐見町内ならどこでも無料で送迎してくれる、車を持たない無力な旅行者こと私には有難すぎる宿でした。

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わりと新しいので雰囲気も良いです。
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お風呂と食事はホテル内の施設も利用できますが、私はおすすめされたので隣接する温泉施設とレストランを満喫しました。ちなみに入浴料は、ホテルでチェックインするときに受け取れるカードを見せると無料になります。
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食べかけの写真で申し訳ないのですが、石窯焼きピザと地元で採れた野菜のサラダ、波佐見焼で飲む白ワインが最高に美味しかったです。
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このあとはやたらと照明の設定を細かく変えられるホテルの自室に戻って、贅沢にダブルベッドでゆっくり寝て、翌朝はホテルのレストランで優雅に朝食を食べました。そういえばきちんと書いていませんでしたが、羽田を発ってから波佐見で朝を迎えるまで、私はずっと一人です。一人で空を飛び、山を歩き、酒を飲みました。

実はこの翌日に波佐見焼の窯元で製作体験をしたのが旅のメインイベントだったのですが、その様子は諸事情で当分載せられないため今回は割愛します。

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そういえば波佐見で私が特に気に入ったものの一つは、空の色でした。上の写真はレストランから見えた朝焼けの様子ですが、夕焼けのオレンジ・薄いピンク・ラベンダーの淡いグラデーションはこれ以上に美しくて、息を呑んで見上げたのを覚えています。見惚れていたらみるみる暗くなってしまって、写真は撮れなかったのが心残りです。

また私は今回時間の都合上ほとんど諦めましたが、波佐見町はそれなりに観光産業の街としてさまざまな施設・仕掛けが用意されているようでした。特に「西の原」の辺りにはかわいいショップやカフェがコンパクトに集まっていて、女子旅の目的地としては最適かと!

 

交通が不便な土地だったり、誰もが興味を掻き立てられる絶景のようなコンテンツが存在しなかったりすると、自分が気に入った旅先であっても人にすすめるのは難しいと感じます。でもここでなら自分の見聞きしたことを感じたままにつらつらと書いても許されるかな、というくらいのゆるさで、来年もこのブログを続けていけたらなと思っています。

昨年末に突然ブログを開設して1年、想像以上に多くの方に読んでいただき、感謝の言葉しかありません。次の回で改めて2019年の振り返りと2020年の目標設定をします。どうぞ良いお年をお迎えください。さやかでした!