どんな言葉で君を愛せば|@oyasumitte

ハッピー賢者モードと人生イヤイヤ期を行ったり来たり

今を愛して今があるんだ 愛したことに胸を張るんだ

明けましておめでとうございます。2018年の大晦日にこのブログを始め、昨年末にはその1年間の振り返りをすることもなく新年に突入してしまうような怠け者ですが、本年もどうぞ宜しくお願い致します。

 

改めまして、こんばんは。さやかです。今回は2019年をブログも含めてざっくり振り返り、それを踏まえた上で2020年の目標を宣言するつもりです。

 

2019年まとめ

1月

表:卒論発表の準備

裏:ブログをたくさん書いた

私の2019年の大きな目標は,自分を好きだと言える自分になることです。(中略)

幸せなときに自分のことを嫌いだと思う状況ってあまり想像がつかないので,基本的には幸せに機嫌良く過ごせたら,自分を好きでいられるのではないかと考えています。

もはや前置きとかそういう次元ではない。 - どんな言葉で君を愛せば、

自分にしかできない仕事って探せば最初からそこにあるものではなくて,誰にでもできる仕事を自分にしかできない仕事に変えられる人になって,初めて与えられたり,挑戦できたりするものなのではないかと私は思っています。(中略)

私はそうやって人に必要とされる存在になっていきたいし,そうやって手に入れた仕事とお金で自分自身を幸せにできる人間でありたいです。

僕にできなくて誰かにできるような そんなことばかり溢れているけど。 - どんな言葉で君を愛せば、

『人懐こいのが私だけれど,この性質のせいで押せばヤレると思われることに疲れてしまった。自分を変えるべきか?』

私は,自分ではなく戦略を変えるべきだと思います。

犬系女子が考える犬系女子の特徴と手懐け方。そして犬系女子が幸せになる3つの方法 - どんな言葉で君を愛せば、

放っておくとひとりで自分の力不足に落ち込んでしまう私に,このブログを読んだ方が「良いと思う」「良いから書け」と言ってくださるので,今日も調子に乗って3800字書いています。

ぼくの言葉が誰れかのことを 少しでも幸せにするんだろうか。 - どんな言葉で君を愛せば、

 

2月

表:卒論発表をした。卒業旅行に行った。

裏:ブログがスマートニュースに載った

偏見なしに飛び込んでみないとわからない世界ってたくさんあって,最初から「自分はこうだから」と選択肢を狭めてしまうのはとてももったいないことだと思います。自己分析や他己分析,インターンへの参加やエントリーシートを書くことを通して,見えてくる自分の顔はあるけれど,(中略)思考や動機を言葉に落とし込んで,それで自分を理解したようなつもりになって選択肢を狭めないこと。

1年前の自分と話せるなら、自己分析の呪いについて忠告したい。 - どんな言葉で君を愛せば、

人生の満足度を高めるために重要なことは,とにかくそれを「自分で選んだ」と思うことです。自分で選んだ大学に進み,自分で選んだ会社に勤め,自分で選んだ人と付き合っているのだと。自分には選択の自由があり,その自由を行使した結果が現在であると思うとき,人生における満足度は大きくなります。

どんな期待で未来を描けば、私たちは最も幸せになれるのだろう。 - どんな言葉で君を愛せば、

将来のことがわからないのは不安だ。好きな人に好きになってもらえなかったら,つらい。でも彼女の身の上話に私が共感できたのは,私がそれを経験してきたからで,それはつまり,彼女の涙の理由になった出来事も私が泣きたくなった体験も,ありふれているということになる。ありふれていたら悲しくない?そんなわけはない。「不安なのはみんな同じ」,「失恋なんてよくあること」。だから何だと言うのだろう。

他人に差し出すティッシュは、目で見て手で触れる優しさだと思う。 - どんな言葉で君を愛せば、

ちなみに Smart News に掲載され、記事単位で過去一番閲覧されたのはこれでした↓

「絶対に何もしないから」は100%の敗北宣言だと思う。 - どんな言葉で君を愛せば、

 

3月

表:旅行に行ったり引っ越したり大学を卒業したり

裏:ブログがはてなブログTOPに載った

はてなブログ公式のトップに掲載され、多くの人に読んでいただいたのはこれ↓でした。被ブクマ数最多記事でもあります。

なぜあの人は過剰に改行するのか。私はなぜそれを嫌うのか - どんな言葉で君を愛せば、

 

4月以降はブログの更新頻度も落ちたのでサクサク行きますね。4月、入社。5月、研修。6月、配属。夏、失恋。秋、婚活。冬、虚無。

ハロウィンの頃を境に生活に占める仕事の割合が拡大して、とにかく目の前のことにあたっている間に年末が来て年が明けていました。計画性ゼロ、振り返ると何をしていたのかよくわからない日々でしたが、仕事はしていたはずです。

 

さて数日前、年末に省いた1年の振り返りや新年の目標宣言の為にブログを書かねばなと思っていたところに、こんな質問をいただきました。

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今年の目標は「後悔をしない」

「もう一度就活が出来るとしたらどんな業界のどんな職種を選びますか?」、これは私にとって答えるのが難しい質問です。

理由は3つあって、まず質問の背景が全く見えないこと。私はマシュマロにお返事するときには、その質問がどんな立場のどんな人からどんな文脈で発せられたものかを考えるようにしています。もちろん対話ではないので書かれなかった部分は想像で補っていくのだけれど、今回は何の情報もないので、この工程がかなり難しくなっているわけです。質問者さんの人物像はパッと思いつくだけでも、就活を控えている学生、今している学生、もう終えた上でその結果に自信が無い人……勿論この中のどれでもない可能性もあります。

答えにくい2つ目の理由は、私は自分が今いる会社しか知らない、もっと言えば、今の会社ですらまだ1年も働いていないという点にあります。やり直してもやっぱり今の会社・業界を選ぶとか、やり直したら選ばないとか言えるほど私はまだ自分が働く業界について理解していません。私は最近プチ炎上したようなトップファームのコンサルではないから、半年同じところにいても自分の言葉で評価できるほど自分のいる業界を理解したとはとても思えません。

最後の理由が最大の問題で、「もう一度就活が出来るとしたら〜」という質問に対する答えは、私が設定した後悔をしないという目標の下では「やり直しても今の会社を選びます」しか選べないということです。それ以外の回答からは、どうしても後悔が匂い立ってしまう気がするから。

 

「後悔をしない」とは?

色々言い訳がましく書いてきたことからお察しされた方もいるかと思いますが、正直なところ、今の私にはとても「就活をやり直しても今の会社を選びます」とか、生まれ変わってもまたこの道を選びますとは言えません。先程は綺麗事を述べましたが、はっきり「やり直して違うところに行きたい」と思う日もそこそこの頻度であります。苦しいことはあるし、自分の選択に自信はないし、隣の芝は青い。

でも就活をやり直す機会があったとして、隣の芝がいざ目の当たりにしたときにも青いままなのかはわかりません。一方で今自分の目の前にある苦しさがずっと続くとも限らなくて、だから今「選び直せるならここ以外の場所を選ぶ」とは言えないし言いたくないのも本音です。

今年の私の目標は「後悔をしない」。

これは慎重さを捨てて無鉄砲になるとか、何でもやってみるとかいうこととは少し違っていて。避けたいのは、ただ漠然と不安を抱えて二の足を踏むこと、自分の選択を嘆くばかりでさらに最善から遠ざかる道を選ぶこと、それだけ。

考えるべきことは考えた上で、検討すべきことは検討した上で、機会があれば挑戦をする。そして結果がどうであれ後ろ向きに振り返って嘆くのではなく、現在地からどこへ向かいたいか、その為には何をすべきかという問題に集中する。選択に際して万全を期すことは無論大切なのだけれど、それでもとにかく一度自分が決めた物事に関して、これでよかったんだ、これが良かったんだと思えるように自分で自分の選択の先を磨いていく1年にしたいのです。

 

日日是好日。

今に始まったことではありませんが、書けば書くほど当たり前のことしか出てきません。

今年というか 今年、私は当たり前のことを当たり前に、そして可能な限りで当たり前以上のことも当たり前にする姿勢を大事にしたいし、そういう自分を下手に人と比べて落ち込まないようにしていきたいです。

何だか「自分を好きになりたい」と言っていた1年前と代わり映えしないことを言っていますが、実は2019年、私は結構自信をつけたような気がしています。偏に褒め上手な友人、職場の先輩、このブログを褒めて私を調子にのせてくれる方々のおかげです。

またもっと小さな目標としては、週に1冊以上新しい本を読むことと、下記の2つを掲げます。

ちなみに2019年の目標の一つだった「日記をつける」は誰にも読まれないと思うと習慣として続かないことがわかったので、今年は誰にも見られずに書きたいときにだけノートを使うことにしました。

 

「もう一度就活が出来るとしたらどんな業界のどんな職種を選びますか?」というマシュマロをくれた方は、きっと「やり直してもこの会社を選びます!メーカーの本部勤務はいいぞ」とか「やり直せたらメーカーは選びません。金融に行きたい」とかいうさっぱりした答えを求められていたのだと思います。ごめんなさい。どちらも言いたくなかったので、このような長文でのお返事となりましたことをお許しくださいませ。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございます。本年も宜しくお願い申し上げます!

おやすみなさい。さやかでした。

英文 詳説世界史 WORLD HISTORY for High School

英文 詳説世界史 WORLD HISTORY for High School

 

 

今を愛して今があるんだ

愛したことに胸を張るんだ

ー Hey!Say!JUMP『アイノユウヒ』

有田・波佐見でひとり旅をしてきた件。

人に何かをおすすめするのはとても難しい。単に自分が気に入った物や場所を言っておけばいいというものではないからだ。

 

ツイッターで「○○ってお店の△△が美味しかった」と周知するだけならいざ知らず、たとえば誰かに直接「おすすめの本は?」と聞かれたら私は、自分が知っている情報の中からその人の趣味趣向に沿って検討しようとするし、そうでなければならないと思っています。逆に「最近読んで良かった本は?」と聞いてもらえるときはシンプルに好きだったものを答えればいいので楽。

最近その「おすすめ」問題に関して、相手に申し訳ないことをしたと思った事がありました。初対面の男の人におすすめの本を聞かれて、あまりお互いのことを知らなかったし話の流れで聞いてくれただけだと思って、出来心でその週読んでいた本を適当に答えてしまったのです。翌々日「昨日早速買って読みました!」と言われたときに自分の不誠実を悔やみ、その本が好みだったらしいのを受けて、それなりに考えた上で次のおすすめをさせてもらいました。

余談が長くなりましたが、そんな私が「おすすめを聞かれて答えるのが難しいものランキング」で3本の指には入るだろうと思うのが旅先です。それを踏まえて、ここからが本題。

 

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長崎県東彼杵郡波佐見町

に行ってきました、という話をします。完全なる個人の旅行記です。

東彼杵はひがしそのぎと読みますが、さて、波佐見と聞いてピンとくる方はどれくらいいたでしょう。波佐見といえば波佐見焼、焼物の町。地理的には、焼物界で格段の知名度を誇る有田焼の産地・有田(佐賀県)の隣にあります。私は今回、波佐見焼の産地として波佐見町に惹かれ、一人で旅行に行ってきました。

私が焼物に興味を持ったのは至極最近のことで、初心者中の初心者だった為に波佐見焼の歴史はもちろん陶磁器全体に関しても学ぶことだらけで、それはもう楽しい1泊2日の旅でした。が、最初に述べたようにそのことを理由として万人に波佐見町をすすめられるかという問題になると難しいところです。その理由は1つ。公共交通機関という概念がほぼ存在しないこと。

自家用車またはレンタカー(あるいはタクシーを乗りまわせる財力)が無いと身動きが取れないのは、波佐見に限らず地方の観光地ではあるあるです。田舎では車こそパワーなのです。車を持たない人間は無力。風の前の塵に同じ。

 

有田ポーセリンパーク

今回は波佐見焼の生産地・波佐見町に行くという目的があっての旅行でしたが、ついでといいますか、せっかくなので隣町の有田にも行ってきました。あまり時間もない中で、観光ガイドにとりあえず行っておけと書いてあった有田ポーセリンパークへ。

博多からJRの特急に乗って有田駅で降りると、駅前には何もありません。これは想定の範囲内です。1日に何本かはあると前情報を仕入れていたバスの時間もタイミングが悪く、駅前にいたタクシーで向かいました。駅から1,500円ほど。

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佐賀県にある酒造・有田焼のテーマパーク 有田ポーセリンパーク

見所になっているツヴィンガー宮殿ですが、率直に言うとこれのためだけにわざわざ有田から山を登ってくるのはちょっともったいないかなという感想でした。綺麗は綺麗でしたけれど。

また私はニワカ日本酒好きなので、隣接する宗政酒造さんの酒蔵も見学してきました。
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酒造とは別にあるパーク内の直売所で試飲をさせてもらえるのですが、ここにいるおじさんは気前が良すぎるので訪れる際には注意してください。私は清酒宗政の蔵出し原酒、初しぼり特別純米原酒、特別純米酒ruri munemasa、純米吟醸、梅酒眠り姫、本格焼酎のんのこ芋、とかもう本当に片っ端から試飲させていただいて。年末の帰省の手土産用に初しぼりなどいくつか購入してから、山を下りました。
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歩いて山を下りました。何もない、舗装も怪しい道を。
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歩いて、山を、下りました。川が綺麗でした。
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予約していたホテルの送迎車が下りた先の有田・波佐見ICまで来てくれることになっていたので、ポーセリンパークからそこまで20分程度歩いたのですけれど、ずっと何もない道を来て、インターに近づいたときに突然目の前に現れたのがこちら。

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波佐見焼ブランドを牽引する「有限会社マルヒロ」さんの直営店でした。

有限会社マルヒロ | 波佐見焼の陶磁器ブランド

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床が陶器でつくられていて、最初に足をのせるときはヒヤヒヤすると思います。

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クリスマスシーズン限定のこちらのシリーズ一式やら丼やらを購入して、いざホテルへ。
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ブリスヴィラ波佐見

私が泊まったのは、田畑が広がる風景の中、突如現れるホテル「ブリスヴィラ波佐見」。波佐見町内ならどこでも無料で送迎してくれる、車を持たない無力な旅行者こと私には有難すぎる宿でした。

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わりと新しいので雰囲気も良いです。
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お風呂と食事はホテル内の施設も利用できますが、私はおすすめされたので隣接する温泉施設とレストランを満喫しました。ちなみに入浴料は、ホテルでチェックインするときに受け取れるカードを見せると無料になります。
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食べかけの写真で申し訳ないのですが、石窯焼きピザと地元で採れた野菜のサラダ、波佐見焼で飲む白ワインが最高に美味しかったです。
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このあとはやたらと照明の設定を細かく変えられるホテルの自室に戻って、贅沢にダブルベッドでゆっくり寝て、翌朝はホテルのレストランで優雅に朝食を食べました。そういえばきちんと書いていませんでしたが、羽田を発ってから波佐見で朝を迎えるまで、私はずっと一人です。一人で空を飛び、山を歩き、酒を飲みました。

実はこの翌日に波佐見焼の窯元で製作体験をしたのが旅のメインイベントだったのですが、その様子は諸事情で当分載せられないため今回は割愛します。

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そういえば波佐見で私が特に気に入ったものの一つは、空の色でした。上の写真はレストランから見えた朝焼けの様子ですが、夕焼けのオレンジ・薄いピンク・ラベンダーの淡いグラデーションはこれ以上に美しくて、息を呑んで見上げたのを覚えています。見惚れていたらみるみる暗くなってしまって、写真は撮れなかったのが心残りです。

また私は今回時間の都合上ほとんど諦めましたが、波佐見町はそれなりに観光産業の街としてさまざまな施設・仕掛けが用意されているようでした。特に「西の原」の辺りにはかわいいショップやカフェがコンパクトに集まっていて、女子旅の目的地としては最適かと!

 

交通が不便な土地だったり、誰もが興味を掻き立てられる絶景のようなコンテンツが存在しなかったりすると、自分が気に入った旅先であっても人にすすめるのは難しいと感じます。でもここでなら自分の見聞きしたことを感じたままにつらつらと書いても許されるかな、というくらいのゆるさで、来年もこのブログを続けていけたらなと思っています。

昨年末に突然ブログを開設して1年、想像以上に多くの方に読んでいただき、感謝の言葉しかありません。次の回で改めて2019年の振り返りと2020年の目標設定をします。どうぞ良いお年をお迎えください。さやかでした!

ここではないそこへ行けば ここにはない何かがある

ドイツの詩人,カール・ブッセの「山のあなた」という詩をご存知ですか。尋ねておきながらこう言うのも何ですが、一度も見たことも聞いたこともない人はそこそこの大人の中にはあまりいないのではないかと思います。

山のあなたの空遠く

「幸」住むと人のいふ。

噫、われひとと尋めゆきて、

涙さしぐみ、かへりきぬ。

山のあなたになほ遠く

「幸」住むと人のいふ。 

上田敏訳『海潮音』,明治38年

意味としては「山の向こうに幸せな場所があるのだ、と言う人がいるので行ってみたが、そんな場所は無かったので涙ながらに帰ってきた。今回行った場所よりももっと遠くにあるのだと言う人がいる」という感じ。個人的には「もっと遠くにあるのだと言う人はいるが、そこにもきっとないだろう」というようなニュアンスがあるように思っています。

 

あの坂をのぼれば

さて、「あの坂をのぼれば、海が見える」というフレーズに見覚えはありますか?こちらはおそらく「山のあなた」よりもわかる人が少ないだろうと思います。杉みきこさんの短編集『小さな町の風景』所収作品、「あの坂をのぼれば」の書き出しの一文です。私は小学生の時に国語の教科書で出会いました。作品のあらすじはこちら。

幼いころ、添い寝の祖母から、いつも子守歌のように聞かされた言葉。「あの坂をのぼれば、海が見える」数々の重圧に耐えきれなくなった少年は、磁石が北を指すように、まっすぐに海を思います。自分の足で、海を見てこようと。しかし、峠をいくつ越えても海は見えません。こんなつらい思いをして、いったい何の得があるのか、本当に海に出られるのか。なにもかもどうでもよくなってきます。疲労が胸をつきあげます。「もう、やめよう」と思ったそのとき、一羽の海鳥の声を耳にするとともにその姿を目にします。そして、海鳥はまるで先導するかのように峠を越えてゆきます。「あの坂をのぼれば、海が見える」海鳥のおくりものような一片の羽根を手に、少年は再び歩き始めます。

あの坂をのぼれば | 樟蔭レポート | 樟蔭LIFE

なぜこんな話をしているかというと、まず「山のあなた」を思わぬところ(大学の先輩のツイート)で目にして、自分の悩みを図星で突かれた気がしたからです。そして山の向こうに幸せを探しに行った人から連想して、山の向こうの海を見ようとした少年がいたことを思い出しました。

近頃の私には、とにかく自分の仕事に物足りなさがあって。もっと追い込まれたい、全力で向かってやっと乗り越えられるような業務に挑戦して大きくなりたいという気持ちばかり急いてしまって、その焦りに呑まれていました。もちろん呑まれている自覚も足りていなくて、抜け出し方がわからなくて苦しかった。そんな風に近視眼的になっていることに気付くきっかけとなったのが、久しぶりに読んだ詩「山のあなた」だったのです。

「山のあなた」は「見えない山の向こうに行ってみても理想郷などないのだから、今自分が手にしているもの、目にしているものに幸せを見出すのが良い」と促す詩であると認識していますが、少年が同じように夢見て山を越える「あの坂をのぼれば」は、その展開からして同じ教訓を示してはいません。

少年は、今、どうしても海を見たいのだった。細かく言えばきりもないが、やりたくてやれないことの数々の重荷が背に積もり積もったとき、少年は、磁石が北を指すように、まっすぐに海を思ったのである。

細かい話になり、物語を知らない方には申し訳ないのですが、少年は海を見たいと強く願っていました。そして疲れて立ち止まったとき、海の近くにいるはずの海鳥が上空を飛んでいるのを目撃して、さらにその羽根を偶然手にします。

海鳥がいる。海が近いのにちがいない。そういえば、あの坂の上の空の色は、確かに海へと続くあさぎ色だ。

それらのことから、一度疲労感に足を止めた少年は、海が近いという確信にも近い期待を持って立ち上がり、再び歩き出すのです。山を越える前の日々をよくさらって幸せを見出そうとはしていません。

なかなか報われない努力を続ける苦しさ、それを乗り越えるときには少年で言う海への強い思いと、海が近づいている=努力が実りつつあるという実感を得てモチベーションを上げることの二つが重要である、と読み取ることができるのではないかと思います。

 

見えてるものを見落として

「山のあなた」から読める教訓には、今自分の手の中にあるもの、目の前にあるものに対して感謝と満足を覚えることの大切さがあると思います。

見えるものを見つめるのではなく「見えないものを見ようとして 望遠鏡を覗き込んだ」のはBUMP OF CHICKENですが、このフレーズが印象的な楽曲「天体観測」の大サビにはこんな一節もあるのをご存知ですか。

見えてるものを見落として

望遠鏡をまた担いで

書いていて、こんな詞を持つ別の楽曲のことも思い出しました。

尽きない欲と願望にあてられて

きっと何処にもないものを探して歩くよ

見えていたものまで見失って僕らは

♪ 激動 / UVERworld

私がこのところ感じていた苦しさは、コンフォートゾーンにいながら(もっと言葉を選ばずに言えばそこに囲われながら)何とかラーニングゾーン/ストレッチゾーンに出ようとする自らの焦りから来るものでした。ストレッチゾーンとは以前書いた記事で言うところの「背伸びをしてやっと手が届く成果が求められる環境」のことで、私が今いるのはおそらく完全にコンフォートゾーン、つまりそこにい続けるだけでは成長が見込めない位置です。

働く大人の学びに必要なもの、3選 - どんな言葉で君を愛せば、

コンフォートゾーンにいる今、所属長や先輩は私にとっての「安心屋」ばかりで、私は「緊張屋」としての自責・自戒の意志と彼らとの温度差に自滅しそうになっていました。

「このままここにいてはいけない」と思うばかりだったわけではなく、やりたいことのためにそれなりにストイックな日々も過ごしてきたと思います。自分でも思うし、私がしていることを知っている人にもそれは認めてもらっていると感じてきました。

それでも気持ちばかり急いて空回りしていたのには理由があって、それは私がまだ入社して半年強のひよっこで、コンフォートゾーンであると感じている今の職場でさえもそれ以上を求めてもらえるほど力を認められていないから。それと、見えないけれど「山のあなた」に行けばあるはずの「やりたい仕事」や「一生懸命になれる仕事」をただ漠然と夢見ていたからだと思います。

 

悩み始めた時に考えていたのは「成長したい」「自分が成長を感じられる環境で仕事をして生きたい」だったはずなのに、いつからか「とにかくここを抜け出したい」ということばかりに意識が向いて手段が目的になってしまっていて。しかも所謂JTCなので人事制度もわりとガチガチで、数年勤務しないと異動の希望なんて出せず、目的化してしまった手段の実現はしばらく叶いそうもない。

叶いそうもない異動先の仕事はよく見えず、そちらに憧ればかりが募り、一方で手元にある自分の仕事はとてもちっぽけでつまらないものに見えてきてしまっていました。

多分、山のあなたに夢を見るのをやめるには私はまだ若過ぎるし、海を見たいという気持ちだけで途方も無い山道を走り続けられるほど幼く強くもないのです。山のあなたに夢を見ながら、少年のところに舞い降りた海鳥の羽根のように 自分を励ます言葉を自分自身や安心屋さんから積極的に得て、休み休みでも着実に坂を登り続けて海を目指すほかありません。

そうして出来る限りの事をし尽くす日々を積み重ねて、いつか夢見てきたことに挑戦するチャンスが自分に降ってきたときに「頑張ってきたあなただから」と心から応援してもらえる、そういう会社員になりたいです。最近ずっと苦しかったけれど、ここで腐らずに見方を変えてまた頑張ろうと思えた月曜日でした。

ここではないそこへ行けば

ここにはない何かがある

♪ Hey!Say!JUMP / Your Seed

夢を見るのは良いことだけれど、どうしたって見えないものを見ようとしたり、何処にもないものを探し歩いたり、ここではないそこへ行くだけでここにはない何かが得られると思ったりしてしまうと苦しいばかりです。夢見ることと地に足付けて歩くことのバランシングが大切なのだと思います。

おやすみなさい。さやかでした。

 

海潮音

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小さな町の風景 (偕成社文庫)

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