どんな言葉で君を愛せば|@oyasumitte

ハッピー賢者モードと人生イヤイヤ期を行ったり来たり

ぼくの言葉が誰れかのことを 少しでも幸せにするんだろうか。

 

突然ですが,私は凡人です。

 

天賦の才能や抜群の容姿,底抜けの明るさなど,飛び抜けて何かに恵まれたと感じることも,逆にどうしようもなく恵まれなかったと思うこともなく,平凡に22年間を生きてきました。

決して暗い話ではないのですが,今日はそういう話から始めさせてください。

 

  • 器用貧乏という生き方
  • 凡をきわめて非凡に至りたい
  • フィードバックの重要性

 

器用貧乏という生き方

 

世の中には何かをコツコツ続けることが得意な人とそうでない人がいると思いますが,その分け方で言うと私はコツコツ型の人間ではありません。

小学生で始めた習い事は中学に進学して部活が忙しくなると辞めてしまいました。

中学と高校はどちらも体育会の部活に入りましたがスポーツが違い,一貫して続けてきたことがありません。

 

何に対してもそこそこ真面目には取り組んで,人の話は素直に聞いたし,何でもわりと上手くやってきたと自負しています。

でも成長って,同じステージにいる限りは永遠に同じ速度で伸び続けるというわけにはいかないのですよね。

発展途上の国家が産業を興して高度経済成長を遂げた後で,国家として成熟期に入ると成長率が伸び悩むのと同じです。

0を1に増やす作業って大変だけれど,だからこそ自分自身の圧倒的な成長に夢中になることができます。

逆に1になったあと,それを1.1にしたり,1.11にしたりする努力って本当に地道。

 

私が高校で選んだ部活は,私以外の同期全員が中学校以前からの経験者でした。

彼女たちを基準に考えると,私のスタート地点は最早0未満。

部活の練習も最初は当然ながら私だけ完全別メニュー。

負けず嫌いな私はそれがもうとにかく悔しくて,1日も早くみんなと同じ練習をするために部活が終わった後は自主練をしていました。

必死で同期に追いつこうとする間は楽しかった。

でも結局あまり時間をかけずに練習に合流することが叶ってしまって,試合のスタメンにも入るようになった頃には,自主練はほとんどしなくなっていました。

 

私はおそらく器用貧乏というやつで,何でもそこそこにこなすものの,突出した何かを持っていません。

究めるための努力ができるというのも一つの才能だと思っていて,残念ながら私にはそれがなかった。

だから結局何者にもなれていない凡人なのだけれど,プライドだけは一人前に高いから,何も特別でない自分も許せないし,高い理想をかかげては自己嫌悪に陥ってきたのだと思います。

 

凡を究めて非凡に至りたい

 

究めるという才能が欠けていること,それは趣味においても同じです。

私が中学生の頃は,まだツイッターよりもメルマガやmixi,個人ホムペ(モバスペとか懐かしい)が主流でした。

12〜15歳の頃,私はあるジャンルにハマって2次創作の小説やブログのような雑談を書いたメルマガを配信していて,読者の方が900人ほどいました。

でも同ジャンルのアルファな人たちは,それこそ5千人とか2万人みたいな桁違いの読者を抱えていたわけです。

それなのに「文才がある」とか言われて喜んでいた私は,読者を増やす方策をとりませんでした。

今思えばできることは色々とあったはずです。

たとえば,自分の好きなマイナーキャラではなく,もっとメジャーな人を主役に据えて小説を量産するとか。

結局扱っていたコンテンツ自体に飽きてしまった上にメルマガサイト自体が閉鎖されてしまい,もう黒歴史を掘り起こすこともできないのですけれど…!

 

それ以来匿名で何かを発信する場は作ってこなくて,久しぶりに作ったのがツイッターの@sayakacha_nでした。

 

さやかちゃん (@sayakacha_n) | Twitter

 

アカウントを作ったのはハロウィンの頃なのでちょうど3ヶ月ほど前ですね。

3か月でフォロワーが1,000人,これもまた微妙な数字。

さらに今年の目標として ツイッターで伸びやすい男の愚痴と悪意のある強い言葉を控えることを掲げて当たり障りのないヌルいツイートしかしなくなったので,フォロワー数は伸びなくなっています。

 

そして,そんなツイッターのフォロワー数が減るのと反比例するようにこのブログの読者数は増えていて,なんと気づけば91人の方にご登録いただいておりました🎉

ありがとうございます〜!

 

『さよならミニスカート』を読んだ記事(このまんがに 無関心な女子はいても、無関係な女子はいない。無関係な男子もいない。 - どんな言葉で君を愛せば、)を書いた時には確か5人くらいだったと思うのですが,その次の「WEEKLY OCHIAI 〜幸福をアップデートせよ!」の記事で40人ほど増えて,何かバグが起きたのかとiPhoneの画面を4度見しました。

 

読者登録していただけること,とても嬉しいですし励みになります!

本当にありがとうございます♡

 

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欲しがりなのでここにも登録ボタンを置いておきますね♡

 

さて話を戻しますが,とにかく私には特異な才能がなく,また持っているものを磨いて尖らせる努力もせず,すべてのことを中途半端にこなしてここまで生きてきたなあと。

 

そんな私は就活で,自分が「誰にでもできることしかできない」人間なのだということを思い知らされることとなりました。

第一志望群は全落ち。

最初の頃の面接で挫折経験を聞かれたときには何を答えたのかまったく覚えていませんが,6月に入ってからの面接で聞かれたら絶対に「就活が人生初の挫折です、今がドン底」と答えていたと思います。

就活を通して自分は「好き」を仕事にできる人間ではないと悟りました。

 

関連記事:僕にできなくて誰かにできるような そんなことばかり溢れているけど。 - どんな言葉で君を愛せば、

 

私は「自分にしかできない仕事」って探せば最初からそこにあるものではなくて,誰にでもできる仕事を自分にしかできない仕事に変えられる人になって初めて与えられたり,挑戦できたりするものなのだろうと思っています。

 

そう考えるようになった1つの大きな要因は,3年生になった頃から続けているインターンでの経験です。

(そんなに前からインターンしてて就活負けてるのワロタって言葉は図星すぎるので言わないでください…)

最初は本当に雑務から始まりましたが,1つ1つこなしていくごとに任される仕事が増え,今では企画会議から参加させてもらえています。

もちろん学生インターンと社会人として働くことでは根本的に違うと思うのですが,今は「凡を究めて非凡に至る」ことを理想としておきたいです。

 

フィードバックの重要性

 

このブログを読者登録してくださった方のブログは,必ず一度以上拝見しています。

それも含め,他の方の書いたブログを見ていると私には無い鋭い視点に触れたり丁寧に作り込まれた記事に出会ったりして,自分の今のクオリティでブログを更新していくことに挫けそうになることがあります。

 

私は「自由で斬新な発想」とか「独自の視点で批判」をする力が自分には足りないと思っているし,それがずっとコンプレックスでした。

負けず嫌いな上にないものねだり癖があるので,人にあって自分にないものがすごく気になってしまうんですよね。

 

そんな私の目を「私が持っているもの」に向けさせてくれたのは,いつも自分以外の誰かの言葉でした。

人に指摘されてハッとしたことはそれこそ数え切れないほどあるのですが,今ふと思い出したのは小6の時に担任の先生がくれた言葉です。

 

あなたの良さは物事を多角的に見られるところだ。

何かを見たときに,自分には三角に見えても違うところから見たら四角かもしれないと考える力は誰にでもあるものではない,大切にしてほしい,と言われました。

 

今の私にもその「多角的にものを見る力」があるのかどうかはわかりませんが,少なくとも自分で自分に向ける視線はどうしても近視眼的になってしまうことは自覚しています。

だからこそ発信した内容や私自身に対して客観的な評価を受けること,評価してもらえる自分でいることはすごく重要で。

 

放っておくとひとりで自分の力不足に落ち込んでしまう私に,このブログを読んだ方が「良いと思う」「良いから書け」と言ってくださるので,今日も調子に乗って3800字書いています

3000字に収める予定だったのに。

 

このように評価を受け取ることの重要性を身にしみて感じているからこそ,私も何かを良いと思ったときにはきちんとそれを表明していくようにしようと思うようになりました。

はてなブログだったらスターをつけたりブックマークに登録したり,読者になったり。

ツイッターだったらリツイートして言及するとか,直接会える人には「このツイートが素晴らしいと思った!」と目の前で朗読しつつ絶賛するとか。

 

 

私が多くの人の言葉に支えられてきたように,私の言葉も誰かの痛みに寄り添ったり,悩む背中を押したり,幸福感をもたらしたり……そういう力を持つものにしていきたいなと思います。

一朝一夕で成立するものではないので,凡人なりに継続して経験を積んでいく所存です。

お褒めの言葉だけでなく改善点なんかも教えていただけたら五体投地で感謝します,よろしくお願いいたします。

 

今日も最後までお読みいただき,ありがとうございました!

おやすみなさい。さやかでした。

 

 

そうかな

そうかな

 

ぼくのことを 知ってる人は
この地球の上に どれくらい いるんだろう
ぼくの言葉が 誰れかのことを
少しでも 幸せに するんだろうか
並木が 音を たてて 揺れた
迷いは ずっと 続いていくんだろう
きっとまた ぼくは つまらない出来事に
流されてゆくんだろう でも
生きてゆくことは 思っていたよりも
ずっと ステキなことかも知れない

♪ Re / 小田和正

犬系女子が考える犬系女子の特徴と手懐け方。そして犬系女子が幸せになる3つの方法

 

こんばんは。さやかです。

 

今日はざっくり言うと,百田尚樹さんの『日本国紀』を読んで「ア~~愛国心気持ちいい~~~♡」となっていた1日でした。

気持ちよくなったまま早めに寝る予定でしたが,呼吸をするように自然にツイッターを開いてしまったのが運の尽き。

いろいろと思うところがあり,一部はすでにツイッターで喋ってしまったのですが,明らかに語り切れない熱量を自分の中に感じたので,パソコンを立ち上げて記事を書き始めています。

 

きっかけとなったツイートは交流のない方のものだったので引用を控えますが,意訳すると「人懐こいのが私だけれど,この性質のせいで押せばヤレると思われることに疲れてしまった。自分を変えるべきか?」という内容です。

 

人懐っこくて,素直で,好きな人には何でも合わせてしまう。

何かを頼まれると断るのが苦手で,いつも人に振り回されている気がする。

 

これは,最近までの私の悩み そのものでした。

そのもの「でした」などと過去形にしてみましたが,実際のところまだ完全に自分の進むべき道が見通せたわけではありません。

今回は同じような性質を持つ女として,同胞の生きづらさの要因と,生きづらさを軽減するための戦略について考えてみたいと思います。

よろしくお願いします。

 

犬系女子という生き物

 

この記事では便宜上,「人懐こい自分を変えるべきか?」と悩んでいた女性や私のような女を「犬系女子」と定義します。

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・人懐こい

・基本的に素直

・喜びを隠せない

・人を信じやすい

・人に怒るのが苦手

・顔のデフォルト設定が笑顔

・断るのとか理不尽を正論ではね返すのが苦手

・「もっと怒っていいんだよ」と言われたことがある

・「押したらヤレそう」と男友達に言われたことがある

・「ブンブン動くしっぽが見える」と好きな人に言われたことがある

・自分を適当に扱ってくる人との関わりを「いい人なんだけど…」とか言って切れない

・好きな人からの連絡はそれが相手の気まぐれであっても実家の犬のように喜びを前面に押し出して応じてしまう

 

挙げ始めるとキリがなくなりそうなのでこのあたりにしておきますが,言ってしまえばよく「都合が良い」という言葉でまとめられてしまうタイプです。

 

 

耳が痛い。

私は都合が良いという言葉が好きではないし,素直で人懐こいのが悪いことだなんて微塵も思いたくありません。

あと押したらヤレそうとか言ってくる男,あなたとは絶対寝ないから安心してくれ(私に言ってきたのは信頼できる友達なので,隙が多くて狙われそうだから変な男には気をつけろよ,みたいな意味で言われたのだと信じています)

 

問題は,犬系女子の愛を栄養として摂取するだけしておいて,不義理を働くダメ男

そしてなぜかそんなダメ男に惹かれてしまう我々。

 

自分の大切な友人にはそんな人に振り回されてほしくないと思いつつ,そういうクソな男の人に惹かれる気持ちは心の底からわかってしまうから難しいんですよね。

「幸せになりたい」とは思いながらも,自分を大切にしようとしてくれる誠実で優しい男の人を足蹴にして,危険な香りがする男を追いかけてしまう。

振り向いてくれるのかもわからない人に,懸命に尽してしまう。

 

 

ねえ,忠犬女の子って可愛くないですか?

無慈悲に愛情だけ搾取したあとで切り捨てるなんてできないはず,と思いませんか?

いいえ,無慈悲になることができます。

そう,dameOtokoならね。

 

彼らは「人を傷つけてはいけない」「誰にでも思いやりをもって優しくありなさい」と骨の髄まで刷り込まれている我々には理解できない感覚で生きているので,忠犬女の子のまま彼らと正面衝突すると確実に死にます。

 

こちらが青信号になったのを確認して横断歩道を渡っていたとしても,信号を守らない車がそこに突っ込んできたら死んでしまいますよね?

正しい行いは自分の身を守ることに必ずしも繋がりません。

こちらが義理堅く愛情深く接したとしても,ダメ男や心無い人たちには通じないのです。

 

信号無視で突っ込んでくる無法者に対する対抗手段として,横断歩道や信号は力不足です。

ではどうするか?

歩道橋をかけましょう。

信号を無視する車がいるとわかっているのだから,うっかり引き殺されないように環境を管理するのが良いと思います。

 

ここで強調したいのは,変えると良いのは表面的な要素であって,犬系女子の素直さや人懐こさなどの性質ではないということです。

私も度々痛感しているところですが,人はとにかく可視行動で評価されます。

 

 

他己評価は結局,良くも悪くも見たり聞いたりできる部分しか判断材料になりません。

 

また,これは目を背けたくなる事実ではありますが,ダメ男はどんな女にもダメであるわけではないことが多いです。

 

 

「俺に従順なところが可愛い」と言って飼いならしておいて「お前は従順すぎるからだめだ」と捨てる男も,その直後に付き合い始めた彼女に対しては毎日車を出す尽しぶりだったらしい。

短期間のうちに王様から足へ。振り幅がすごい。

 

このように,人は相手を見て自分の振る舞いを変えているし,その振る舞いによって相手に評価されています。

であるならば,振る舞い,言動を変えることで,本質を変えずとも男に良いようにされる事態は防げるはずです。

 

「策士策に溺れる」状態になっていないか?

 

今回,記事タイトルは「犬系女子が考える犬系女子の特徴と手懐け方。そして犬系女子が幸せになるための3つの方法」としました。

これはあるブログ記事のタイトルから発想を得ています。

つまり平たく言ってしまえばパクリなのですが,その元記事がこちら。

 

oreno-yuigon.hatenablog.com

 

私が『俺の遺言を聴いてほしい』の中で最も好きな記事の一つで,つらい時にはよく「ダメ男 5年経ったら ただのゴミ」を思い出してきました。

現在進行形でダメ男にハマっている人には,弊記事よりも「ダメ男の倒し方」がわかるヒデヨシさんの記事がおすすめです。

 

そしてダメ男によると,我々のような犬属性を持つ女子は,案の定ダメ男にとって最も扱いやすいタイプであるらしい。

 

さて,我が身を振り返って,犬系女子の生きづらさってつまるところ,素直で人懐っこいという犬系女子の特徴を逆手にとって利用されていることに起因しているのだろうと思います。

例えばダメ男に愛情を搾取されたり,自分勝手な人に振り回されて消耗していたり。

 

これは当然と言えば当然なのですが,自分の性質が思わしい方向に作用しているときは幸せなんですよね。

職場など上下関係がある場だと素直さがウケて上の人にかわいがってもらいやすかったり,人を信じやすい分 人から信頼を受けることもそれなりに多かったり。

 

そして,私には犬系女子としてもう1つ苦しい理由がありました。

これは今回の記事を書くに当たって始めて気づいたことであり,犬系女子の中でもどれくらいの人にわかってもらえるのか見当もつきません。

 

私は確かに本質として犬系女子の素質を持ちながらも,いつも無償の愛を施してきたわけではないのです。

場合によっては,戦略的に犬らしさを前面に押し出すことがありました。

戦略と言っても無いものを作るわけではないので強く意識していないことも多く,それが作用した結果が自己認識と現実の差を引き起こし,悩みの種になっていたのです。

 

私は「ずっと好きな男にセフレにされてきた…ツライ…」みたいな顔でツイッターの裏垢をやっています(ました?)が,私がその沼にハマったのは実はまだ2回です。

好きだった人に「付き合えないけどいいよね?」で迫られて負けたのが1回。

以下の記事でふんわりと全容を書いていますが,要約すると「犬系女子としてダメ男に完全敗北した回」なので読まなくても大丈夫です。

 

関連記事:せめて今日のために切った髪に気付いて 似合ってるよって言ってほしかった。 - どんな言葉で君を愛せば、

 

もう1回は上記のダメ男を忘れるという目的の下で寝るようになった別の男子にハマってしまったパターンです。

私は好きな人としか関係を持てない主義だったのですが,そのことをダメ男にバカにされたこともあって,当時私と寝たいと言っていた都合の良い男子を自分から言外に誘って寝ました。

回数を重ねるうちに都合が良いはずだった男子の方を好きになり沼ってしまったのですが,ダメ男を忘れたいという目的は達成したわけです。

 

個人的に難しいなと思うのは,ここです。

「犬系女子らしくダメ男に尽して負けてしまった」のも私だし,「都合が良い男子を言外に誘うときに自分の犬属性を使った」のも私です。

 

犬属性の振る舞いの目的は「相手に安心感を与えること」「相手に敵意を抱かせないこと」であると思います。

強い相手にはお腹を見せて服従を示す犬のように,押したらヤレそうな柔らかさや隙を見せることで相手の懐に飛び込みます。

健気な犬系女子として泣かされてばかりきたということもないのです。

 

話を記事冒頭の犬系女子さんの質問に戻します。

人懐こいのが私だけれど,この性質のせいで押せばヤレると思われることに疲れてしまった。自分を変えるべきか?

 

私は,自分ではなく戦略を変えるべきだと思います。

 

私も最近まで,マッチングアプリなどを介して出会った男性に即日で性的な対象として見られることに消耗していました

自ら犬のように従順にふるまっておきながら,いざ誘われると「ヤレるとナメられてる」と凹んでいたのです。

 

 

人に好かれるために,犬のような言動で下手下手に出て相手を油断させておいて,油断してこちらに手を伸ばして来た相手を見下して気持ち悪いと避ける。

でも「こんな格下男にヤれると思われちゃうのツライ」と嘆く一方で,女として欲されるということを確認して安心していた自分がいたことにも気付いてしまいました。

 

 

犬系女子らしい従順さを前面に出すのをやめてみたり,ツイッターやブログでゆるふわ女子らしさとはかけ離れているらしい文章を見てくださった人と会ってみたりしたところ,急に複数の相手から「穴モテ」しなくなりました。

不思議なことに,穴モテは本当に嫌だったはずなのに,求められなくなったら今度はそれが寂しく,自分には女として何かが欠けているのではないかと思えてきます。

 

私は「目的とそれに対する正しい戦略をとることができていない」どころか,そもそも自分で自分の望むところが理解できていなかった。

性欲や女としての魅力を確かめたいがために相手に「ヤレそう」と思わせようとする自分が満たされると,今度はその「ヤれそう」と見られることで傷つく自分がいる。

素直で従順な女ぶる自分の戦略に,自分で溺れてしまっていました。

 

犬系女子の幸福戦略

 

もしあなたが,私やツイッターで見かけた質問者さんのように「押せばヤれる女」という視線を向けられることに疲れたり傷ついたりしているなら。

これから出会う相手にそう思わせないキャラ付けか,格下男に狙われた程度で傷つかないフレームワークをつくることが必要だと思います。

その犬っぽい接し方が天然物であっても作為的なものであっても同じです。

「幸せになる方法」を教えるなんて烏滸がましくてとても言えませんが,少しでも生きづらさが減りそうな方法を3つあげてみました。

ちなみにすべて特大ブーメランで自分にも刺さっています。

 

(1)自分の犬属性の目的を考え直す。

犬系女子はわりと後輩にもナメられやすくあだ名で呼ばれてしまうなんてことも多いのではないかと思うのですが,私がサークルの後輩にあだ名で呼ばれたりタメ口で話しかけられているのを「失礼な口利いてんなよ」と怒ってくれたのがダメ男でした。

胸がドギュン!としてしまったのですが,それは置いておいて。

犬系女子ってこうやって皆にいい顔をしようとしたり,笑って流した方が平和だと思っていたりすることが多いと思います。

他方でダメ男のようにはっきりとモノを言うのが得意な人がいて,そういう人は支持を集める一方でそこそこ恨みを買うこともあるはずです。

より多くの人に好かれるための手段として犬属性的な振る舞いは大いにアリだと思います。

でもそれが自分の望む対人関係をもたらさないと気づいたなら,一度意識して別のキャラを演じてみては?

根っこから変える必要はなく,態度から変えていくと,自分も自分の態度に騙されて,そのうち意識しなくても犬度は低くなっているはずです。

 

(2)戦略的に犬属性を出す相手を選ぶ。

犬系女子の強みは,人に安心を与えて懐に飛び込むのが得意なこと。

媚びるのだって戦略ならその従順さは決して悪くないと思うし,基本的には人を信じて生きていきたい。

でもこちらの愛情とか精力みたいなものを注ぎ込んでもビクともしないダメ男にそれをするのは,やっぱりもったいないです。

せめて自分を傷つけようとはしない人だということが確かめられるまでは,尻尾をふりたくなる気持ちを抑えてみませんか。

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こんなふうに、懐いたら懐いた分だけかわいがってくれる人にだけ存分に犬になったら幸せだと思うのです。

人に騙されやすい,利用されてしまいやすいという自覚があるなら,最初から意識して防衛線を張るのは大事なことだと思います。

人を見る目を養いましょう。

そして誰にでも,いつでもではなく,あくまでも狙って,犬のように懐いていきましょう。

 

(3)自分は相手の鏡だと思って振る舞ってみる。

主人に対してはあんなに全力で忠誠を誓う犬という生き物も,実は一度格下だと見なした相手にはかなり冷たいらしいですね。

「犬みたいな君が可愛い」と言ってくれる非ダメ男や,自分を大切にしてくれそうな優しい人のことを,心のどこかで自分より格下だと見下してしまっていませんか?

まず,格下のように感じるのを意識してやめてみる。

自分に敬意をもって接してくれたり,大切にしてくれたりする人には自分も同じように返してみる。

逆に見下されていると思ったり蔑ろにされていると感じたら,自分の中での相手の位置も下げてみる。

言葉で言うのは簡単ですが,それが苦手だから私たちは犬系女子となっているわけですよね。

時にはクソ男にワンチャン狙われること以上のストレスが伴うかもしれませんが,いつまでも同じ消耗の仕方をするよりは良いはずです。

私もしばらくは「手を出したくないと言われて嬉しい」と「抱いてほしい」を言ったり来たりして悶えながら、自分にとってベストな道を探っていきたいです。

 

 

さて,記事タイトルには手懐け方とも書きましたが,ここまで書いてきた通り懐かれる側が何もしなくても犬系女子は懐きます。

それが犬系たる所以ですので……。

ただ願わくば自分に懐いてきた忠犬女の子ちゃんに「素直でチョロい私が悪いのかな」なんて思わせないであげてほしいなと思います。

 

日付が変わった頃から書き始めたのに,書いては消し書いては消しを繰り返していたら朝の8時になりました。

私は今から寝ます。

最後までお読みいただき,ありがとうございました。

さやかでした。おやすみなさい。

 

花屋で働くあの子はふわふわしてて、まるで花のようで今にもどこかへ行っちゃいそう。

 

こんにちは。さやかです。

 

今日はタイトルの通り(タイトルの通りではない),純粋な気持ちで綺麗な花を見に行ったのに,いつもの如く変にいろいろと考える羽目になってしまったという話です。

よろしくお願いします。

 

  • 意外とすぐそこバレンタイン
  • 贈られるより贈りたい
  • 世界はほしいモノにあふれてる

 

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意外とすぐそこバレンタイン

 

この記事を書き始めた今は2019年1月19日の正午です。

センター試験の初日だったそうですが,正直4年前に自分が受けたときの記憶はほぼありません。

気持ちの良い冬晴れの日だったような気がします。

私は暖房に弱い体質で,試験中に逆上せてよく鼻血を出す血塗れJKだったので,センター試験の一番の心配は「試験中に鼻血が出てマークシートを汚してしまったらどうしよう」というものでした。

結果としては試験中に鼻血が出ることはなく,過去問で満点解答を量産していた日本史でちょっとお茶目をしたこと以外は無事に終わったので良かったです。

ちゃんと家に帰ってから鼻血スプラッシュを経験しました。

 

さて話を今日に戻して,1月も19日が過ぎたということは,バレンタインまでもう1ヶ月を切っていることにお気付きでしょうか?

私はすっかり忘れていました。

こんなことは初めてです。

 

去年なんてクリスマスが終わったらすぐにバレンタインのことを考えていたし,本命チョコを決めるためにいくつものお店を巡るワンマンツアーを開催したし,生チョコを渡したかったけれど保冷ができない環境で渡すことになったら困るなと思って要冷蔵チョコと常温で渡せるチョコ2つ用意してたし,まあ〜〜〜それはそれは楽しかったです!

 

彼氏には適当にケーキを焼いて,大好きだった先輩には高いチョコを買って渡した年もありました。

片思いの相手に手作りの何かを渡せる人って本当に勇気とか自信がすごいなと思うんですよね。

私は自分が片思いされてる人からは手作りスイーツより安心安全な市販品を貰いたいから,自分が渡すときにもそこに逃げてしまいます。

 

と、こんな感じで何だかんだバレンタインには必ず本命チョコを渡してきた人生だったので,そういう相手がいない今年はなんだかちょっと寂しい気もしちゃいますね……。

 

あれ,今日は何の話だっけ?

 

贈られるより贈りたい

 

ところでバレンタインのチョコに限らず,プレゼントってあげる側が断然楽しくないですか?

相手は何を欲しがってたかなとか,これなら喜んでもらえるかなとか,色々考えて選んだものをどうやって渡そうかってさらにわくわくして。

渡すその瞬間まで,ずっと楽しいじゃないですか。

 

それに比べて受け取る側って変に期待しちゃうとろくなことにならないから,いくら呼び出されたのが誕生日とかバレンタインの付近であっても,受け取るその瞬間までプレゼントのことなんて意識から消しておく方がいいし。

プレゼントをもらう可能性とか,それが自分の欲しいものである可能性とか,そんなの全く考えなければ期待値ゼロでいられて,何かもらえるだけで喜べるわけです。

 

たとえば,大人の女性が誕生日に男性からぬいぐるみを贈られて心から喜べたとして,その要因は3つ考えられると思います。

 

1つは,そのぬいぐるみがまさに贈られた女性が欲しかったプレゼントそのものであった場合。

一番幸せな理由ですが,個人的にはこれは結構レアケースなんじゃないかと思います。

 

2つめは,女性にとって男性が,何を贈られても嬉しい相手=好きピである場合です。

JKが1年生のときにイケメン彼氏からもらった何の変哲もないペンを,高校3年間どころか大学生になってからも大事に使っていたようなケースは完全にこれですね。

クルトガはいいぞ。今のJKもクルトガ使うのかな。

 

そして3つめ,女性の期待値が「誕生日にぬいぐるみをもらうこと」以下に設定されていた場合。

プレゼントの内容はもちろん,貰うという状況それ自体を予測していなかったら,それが有害なものでない限り受け取った人は嬉しいはずです。

一般的にサプライズで相手の喜びを増幅することができると考えられる理由はこれだと思います。

 

ここで言いたいのは,だから大人の女性にぬいぐるみをプレゼントするなということではなくて,3つのうちいずれかに当てはまる自信がある人がプレゼントにぬいぐるみを選んで,それを実際に受け取った人が喜んでいるのならば外野の声はすべて大きなお世話だという話です。

 

一方で,このようにしてぬいぐるみプレゼント作戦が成功した人が他の人にもぬいぐるみプレゼント作戦を推すことは危険だと思います。

それを見た人が純粋な気持ちで「女子へのプレゼントはぬいぐるみが良い」と思ってしまう可能性があるからです。

 

私はプレゼントって,とにかく文脈を考えるべきものだと思っています。

 

たとえば道端で出会った石油王に突然500兆円もらっても嬉しくない……いや,これは異次元過ぎて嬉しいな。

例を間違えました。

 

付き合っている彼氏に誕生日プレゼントとしてアクセサリーをプレゼントされたら嬉しいけど,友達とか会社の人に急にネックレスなんて贈られたらちょっと困るというか戸惑うというか,不気味ですよね。

 

大学生の半同棲カップルなら記念日に彼氏がコンビニでケーキを買って帰ってきただけで嬉しいかもしれないけれど,社会人の彼氏が同じことをしてくれても「なるほどコンビニ…」と思ってしまうかもしれません。

 

パパ(意味深)に贈られたブランド物のバッグをツイッターで散々ダサいと扱き下ろしてから換金しちゃうJDちゃんも,バンドマンの好きピに「もう使わないからこれやるよ」と渡された古いピックを宝物にしているかもしれません。

 

こんな風にプレゼントの有難みは内容だけでは決まらないどころか,内容以前にほぼ決まっています。多分。

 

相手にとって自分がどんな存在で,どんな関係にあって,距離感はどれくらいで,相手の期待値はどこにあるのかという文脈を捉えた上で戦略を立てるのが良いと思います。

 

自分が相手より確実に優位な立場(相手にとっての好きピ)にあったり,プレゼントへの期待値が低そうだと思ったり,あるいは相手の言動にぬいぐるみが欲しいという明確な意志が見られるのであれば,ぬいぐるみのプレゼントは特に問題にならないはずです。

でもぬいぐるみは盗聴器があったら怖いから、一緒に買う以外の方法でもらうのは私は嫌かな。

 

さて,冒頭で紹介した花の合同展を見てきた私が考えたのは,この「欲しいという明確な意志」についてです。

ね、ちゃんと話が繋がったでしょ?

 

 

世界はほしいモノにあふれてる

 

というのは私の最推し俳優,三浦春馬くんがMCをしているNHKの番組なんですが,世界ってほんとに欲しいもので溢れてるじゃないですか。

 

世界はほしいモノにあふれてる - NHK

 

服も欲しいし,コスメも欲しいし,本も欲しいし,インスタ映え用の小道具も欲しいし,何でもない日に生花を自分のために買って #花のある暮らし とか付けて写真を投稿する余裕も欲しい。

 

私が今回「色を纏う花展」を見に行ったのは,ツイッターやサイトで告知を見て,本当に綺麗だな,実物を見て作品を買いたいなと思ったからでした。

 

prtimes.jp

 

会場の表参道ROCKETは想像以上にコンパクトなスペースでしたが,素敵な空間でした。本当に。

 

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欲しいものがありすぎた。

どれも欲しいと思ったし,それなのにどれも欲しくなかった。

 

私の中で全部同じくらい欲しいという状態は,全部同じくらいいらないという状態にとてもよく似ています。

経験上「絶対にこれ!」と感じるものが無いときには,どれを選んでも大概「これじゃなかったかも」と後悔する。

選ばずに手ぶらで帰るという結果が,全部欲しい/全部欲しくないという2つのシチュエーションに共通します。

 

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とにかく私は,花の写真に惹かれて,作品が欲しいという気持ちに突き動かされて展示を見に行ったはずなのに,多くの作品を見た途端,本当に欲しいのかどうかわからなくなって帰ってきてしまったのです。

 

え、こわくない?

綺麗な花を見に来て,どれを選ぶでもなく「欲望とは何ぞや」という謎の問いを抱えて真顔で去っていく女,こわくない?

 

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私は欲の内容について,プレゼント同様,結構文脈に依存していると思っています。

 

たとえば通勤中に何となく喉が渇いたなと思うとき,通りがかったおっさんが突然ペットボトルの水をくれても飲まないですよね。

でも旅の途中に砂漠を彷徨っていて,冷たい水をください できたら愛してくださいという感じに喉が渇いていたら,そこで知らないおっさんにもらう水でも有り難いですよね?多分。

 

通勤中に喉が渇いた時の欲求は「買える水がほしい(買いたい)」で,砂漠で死にそうだと「水なら何でもいいから手に入れたい」みたいな。

 

砂漠における欲求は「何でもいい」とは言いつつ,砂漠の真ん中というロケーションによって選択肢には制限がかかっていますよね。

水源まで歩くか水を持った人と出会うしかない。

同様に,道端でのどが渇いたらコンビニや自販機など買う手段の選択肢は多くても,そもそも買う以外の選択肢は原則無いと思います。

 

こんなふうに,文脈上選択の余地がないと,欲する内容がシンプルになって良いですよね。

行動経済学的にも人間は選択肢が多すぎると選べなくなる生き物らしいし。

 

それなりに自分が満たされていて、尚且つ選択肢が溢れている世界では「欲しい」という気持ち1つとってもとにかく種類が多すぎると思うのです。

心から手に入れたいと思っているのか,なくても平気だけど持った方が良いらしいからとりあえず持っておきたい程度なのか,SNSのいいねを押すような感覚の軽い好感なのか,とか。

 

「欲しい」気持ちの中身は複雑なのに,その全部を「欲しい」と一言で言ってしまうから,私は自分でも何が自分の本当に望むところなのかわからなくなってしまっています。

 

具体的には「彼氏いるの?」って聞かれたら「ん〜〜欲しいんですけどね〜」って返すようにしていたせいで彼氏が欲しいような気になっていたけれど,少し考えてみると私全然彼氏欲しいと思ってじゃん,ってなったりとか。

 

綺麗な写真を見て,花が欲しいような気がして買いに行ったけれど,実物を見たらなぜかその購買意欲がスッと消えてしまったりとか。

 

自分の考えていることってアウトプットしたものもしていないものもすべて見えてしまっていて,だからこそ自分の中の核心みたいなものが見えにくくなってしまうような気がしていて。

そう考えると,人にプレゼントをあげるときの方が,文脈を追っていくだけでわりと選択肢の幅を狭めていくことができるから楽なのではないかとさえ思います。

 

…….と,ここまで書いてきてふと思いました。

 

私は自分が「色を纏う花展」に行きたいと感じたことについて「花が欲しい」という気持ちからだと思い込んでしまったけれど,実はただ作品の展示を見に行きたかっただけなのかもしれないなと。

 

欲しいものがわからなくなったんじゃなくて,実物を見たかった欲が満たされたから満足したのかもしれない。

 

なんだ,単純じゃんと思ったけれど,これは見に行かなければわからなかったし,こんな風にブログのために自分の気持ちを文章化しなければわからなかったことです。

 

これをしたい!あれがほしい!と思ったとき,素直に行動してみるのは結構おすすめです。

自分が本当は何が好きで何を求めているのか,考えるという方法だけで理解するのはとても難しいから。

 

「色を纏う花展」,とっても良かったです。

23日まで開催されているようなので気になった方はぜひ行ってみてください。

 

あとタイトルに使ったSHISHAMOの「花」という歌もおすすめです。

私は一緒に花のような女になる道を志す女友達を欲していますので,そちらもぜひ…!

 

やっぱり投稿するの20日になっちゃったな。

最後までお読みいただき,ありがとうございました!

さやかでした。

 

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◯フローリスト&フラワーアーティストによる合同展「色を纏う花展」

◯会場:表参道ROCKET(表参道ヒルズ同潤館3F)

◯会期:2019年1月18日(金)〜1月23日(水)<会期中無休・入場無料>

◯時間:11:00〜21:00 <1/20(日)〜20:00、1/23(水)〜18:00>

OMOTESANDO ROCKET

 

君が二人の部屋からいなくなった

理由はわかってる あの子のところへ行ったのね

花屋で働くあの子はふわふわしてて

まるで花のようで今にもどこかへ行っちゃいそう

 

いつでもそばにいるような女より

いつかどこかへ行っちゃうような

そんな女がいいのでしょう

花のような女がいいのでしょう

 

♪ 花 / SHISHAMO

花, a song by SHISHAMO on Spotify